去年「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」(小学館)で作家デビューした岸田奈美さん。岸田さんのお父さんは若くして他界し、母のひろ実さんは病のため車いすユーザーとなり弟良太さんはダウン症。そして祖母の弘子さんが“タイムスリップ”し始めたという岸田家の日常を面白おかしく描いた新作「もうあかんわ日記」(ライツ社)は、涙と笑いなしには読めない。そんな岸田家の“タイムスリップ”な日々を、奈美さんとひろ実さんに聞いた。

岸田奈美さんは「もうあかんわ日記」で岸田家の日常を面白おかしく描いた
岸田奈美さんは「もうあかんわ日記」で岸田家の日常を面白おかしく描いた
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「何で味付けしたんや、何が入っているんやろ?」

――ひろ実さんと良太さん、弘子さんが3人暮らしで、奈美さんは独立していま別居ですね。弘子さんですが、様子がかわってきたのはいつごろからですか?

ひろ実さん:
この2、3年です。母がこれまで出来ていたことがどんどん出来なくなってきて、例えばさっきローソンに行ったのにまたローソンに行こうとするとか、常に何かを探しているとか、ついさっき言ったことを全く憶えていないことが増えてきました。

母はご飯を作るのが好きだったんですけど、「これは何で味付けしたんや、何が入っているんやろ?」みたいなものをつくるようになってきて、先日は焼肉のタレで煮物していたりとか、もうとにかく頼れないという状況が続いて・・。

奈美さん:
でも高齢者あるあるで、病院の先生や福祉の方の前では普通に受け答えしたりするんです。「お出かけしていますか?」と聞かれると、もう1年近く1人で出かけていないのに、「毎日出かけています」と答えたりして。

岸田家の人々。奈美さんとお母さんのひろ実さん、長男の良太さん
岸田家の人々。奈美さんとお母さんのひろ実さん、長男の良太さん

おばあちゃんが”タイムスリップ”し始めた

――そして弘子さんが“タイムスリップ”し始めたと。

ひろ実さん:
奈美が家に来ていると母は奈美が高校生ぐらいの気持ちでいるんです。「早くお風呂入りなさい」とか「これを食べなさい」とか。良太も赤ちゃん扱いして「ああしなさい。こうしなさい」と四六時中言って。しかもだんだんものの言い方が攻撃的になってきて、例えば良太に対してきつい言い方をすることもあって、それに良太が怒って。

――認知症になると感情コントロールがだんだん効かなくなってくるといいますね。

ひろ実さん:
そう、怒りっぽいですよね。母はいつも夜9時に寝るんですが、9時に皆が寝てないと腹が立つんです。特に良太には「9時なのに電気つけて!」とか、「まだ起きている!」と言うから、もう毎日喧嘩が絶えなくて。私が部屋でオンラインをしていても声が聞こえてくるし、息子は「助けて」と部屋に入ってくるし、本当に辛いというか。特にコロナになってからはずっと家で一緒なので余計に酷くなったかも知れません。

おばあちゃんにとって良太さんは赤ちゃんの頃に
おばあちゃんにとって良太さんは赤ちゃんの頃に

心の余裕がなくなっても「しんどい」と言えない

――ひろ実さんはそうしたお母さんの変化をどう受け止めてこられたのですか?

ひろ実さん:
母と良太のもめ事の間に入るのですが、私の方が心の余裕がなくなり、しんどくなっていました。ただ奈美にはなかなか「しんどい」とは言えないんですよね。自分の母のことで娘にまで余計な心配をさせることが申し訳ないみたいに感じて。

――奈美さんはおばあさんがこうなるのをどう受け止めましたか?

奈美さん:
ボケてるとか物忘れが激しいのより、感情の歯止めが効かなくなってずっとヤイヤイ言い続けたり良太にきつい言葉を吐いたりするほうが、おばあちゃんが良太をめちゃくちゃ好きやった時を覚えているから辛いです。私も余裕がある時だったら「うるさいな」くらい言えるけど、忙しいときはしんどいです。

倒れて気持ちを全部吐き出したら救いになった

――そして今年2月にひろ実さんが感染性心内膜炎という重い病気で倒れ、一時は命の危険もあったそうですね。これまでの心労のせいもあったのでしょうか。

ひろ実さん:
感染性心内膜炎は、めずらしい病気だそうです。体調はそんなに悪くなかったのに、抵抗力や免疫力が下がる何かがあったんですね。倒れた後「こんなしんどかった」と奈美に全部吐き出したら、奈美が「これはわかるわ。ちょっと任せて」って言ってくれたことが救いになりました。

奈美さん:
私とお母さんのストレスとの向き合い方って、基本的に見て見ぬふりなんです。心を安全なところに逃がしておいて、時間が解決するという方法です。これはうちのお父さんが亡くなった時からそういう感じで、私は「私のせいかもしれない」と思っているし、お母さんも「自分のせいかもしれない」と思っている。そういう辛さって理屈ではどうにも解決できないので、もう時間が経つのを待つしかないんです。だからおばあちゃんがやばいかもっていうのも、はじめは見えないふりをしていたんです。

お父さんが亡くなった時から、岸田家のストレスとの向き合い方が決まった。
お父さんが亡くなった時から、岸田家のストレスとの向き合い方が決まった。

心が病んでいる時に1番やってはいけないこと

――はじめは見て見ぬふりでやり過ごそうとしていても、だんだんストレスが澱のようにたまりますよね。

奈美さん:
心が病んでいる時に1番やっちゃいけないことって、判断することなんです。会社を辞めるとか、誰かと縁を切るとか、基本的に心が病んでいる状態で判断すると「全てを止める」となっちゃうから、ようやく治り始めたとき自分には孤独な世界しか残っていないんです。

だから自分がすごく追い詰められて余裕がない時に、「おばあちゃんはここに連れて行った方がいいんじゃないか」って判断しても、正解かどうか分からないので先延ばしにしていたんです。そこにお母さんが倒れて、何ともならなくなった時に初めて動けたんですね。

撮影:幡野広志
撮影:幡野広志

――ヘルパーさんやデイケアサービスといった介護のプロたちにお願いしたそうですね。

ひろ実さん:
娘と母親って近すぎて、どうしても戦いみたいになることがあって。だからいろんな人から「もう絶対無理やから他人に任せて。他人だからできるんやから」と言われました。たしかに私も自分の親には無理やけど他人だとできることがありますから。

母はデイケアサービスに行くようになって、友達と喋って発散した日はすごく機嫌がよかったり。優しくしてもらえると理性が働くようで、ちゃんと話もしているそうです。

「1人で頑張っていたのが良くなかったな」

――介護は先が長いので、家族皆でやっていくことが大切ですね。

ひろ実さん:
私も母を介護のプロにお願いする手続きを後回しにしていて、いつかしないといけないと思っていたら入院して・・それをあっという間に奈美が全部やってくれたんです。

家族だから、ずっと一緒に居るから分かってくれて。奈美に「おばあちゃんと離れた方がいいよ」と言われてすごく救われたんですね。「1人で頑張っていたのが良くなかったな」って、いまはよくわかります。

撮影:幡野広志
撮影:幡野広志

――ありがとうございました。後編は奈美さんが番組コメンテーターを務める予定のパラリンピックについて伺います。

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【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。