1本のカセットテープから流れ出る歌声。

「住みよいまちを。楽しく住みよい みんなのまちを。築こう がっちりスクラム組んで。暴力締め出す勇気を集め。栄えるふるさと 北九州を」

北九州市暴力追放の歌「住みよい まちを」
北九州市暴力追放の歌「住みよい まちを」
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いまから約30年前、「北九州市暴力追放推進会議」が市民の意識を高めるために作った歌。
市民が戦っていた相手は、暴力団「工藤会」だった。

相次ぐ発砲、手榴弾…市民に恐怖を植え付ける

(連続発砲事件ニュース  1994年9月)
フジテレビ・露木アナウンサー:

発砲事件のあった北九州市の現場から、テレビ西日本に伝えてもらいます

記者:
9つの発砲事件が発生する異常な事態になっています

フジテレビ・露木アナウンサー:
昨夜9時前、JR小倉駅北側のホテルでピストルの発射音が2発し、若い男が走り去るのが目撃されました。
ほぼ同じ時刻、今度は駅南側のホテルにも別人とみられる男が、ロビーの客の目前でピストルを天井に向けて5発発射。
さらに1km余り離れたタクシーの営業所では、男がピストルのようなものを運転手に向けましたが、弾が出ないと言い残して立ち去りました。
そして今朝になり、同じ小倉北区内のパチンコ店でも窓など3カ所から弾痕が…

1990年代、北九州の街は「工藤会」の暴力がはびこる無法地帯だった。
市民に高まる暴追意識に反発した「工藤会」は、みかじめ料の支払いを断った市民に向けて無差別発砲を始めた。
2000年代になると、「工藤会」はさらに凶悪化する。

(クラブ襲撃事件 2003年8月)
記者:

北九州市の繁華街の高級クラブに、爆発物のようなものが投げ込まれたようです

2003年には、暴追運動の先頭に立つ男性が経営するクラブに、組員が手榴弾を投げ込んだ。

店内にいた女性:(2003年8月)
8時ジャストに急に戸が開いて、上から下まで黒い感じでお店の中に入ってきて、ズカズカズカって勢いよく入ってきて、おりゃー!って言って物を投げた

組員が襲撃に使ったのは、狭い室内にいる敵を爆発の衝撃波で殺傷する攻撃型手榴弾。店内は地獄と化した。

被害女性:(2003年8月)
ドーンと爆発して、座っていた女の子は焼かれて「熱い熱い」「イタイイタイ」と。
さっきまでサマードレスで、袖がなかった筈なのに、けがをしたみたいで、全部(血で)赤く、袖のある洋服を着てる感じになっていた。
もう1人の子はアキレス腱をけがされて、声もなくなだれ込む形で倒れました。
本当にここは日本なのかって?戦場にいる感じ。残酷、残忍。むごたらしい。手段を選ばないっていう…。とことんっていう感じがしましたね

この襲撃で、12人が重軽傷を負った。

「尻尾をまいて逃げ出すか、戦うか…どちらかしかない」

記者:(襲撃事件後 2003年8月)
北九州の街から暴力団を排除しようと、ついに市民が立ち上がりました

しかし、クラブ襲撃後も事件が続く。
街で「工藤会」排除の動きが起きるたびに銃弾が飛び交い、手榴弾が爆発する異常事態となった。

そんな混乱のなか、新市長に就任したのが北橋健治氏。北橋市長は、「工藤会」の存在が街に与える悪影響に唖然とした。

北橋健治市長インタビュー:
東京に本社がある企業も、地方進出を考えているところも結構あったが、こういう暴力事件のニュースが時々出るようでは、進出はしたくても出来ないと。それは企業も投資をとまどいますよね。
新しい街おこし、産業作りが求められていただけに、このままでは街の将来は光が消えてしまうという大変な危機感を持っていた

「工藤会」は怖い…その恐怖が街に深く植え付けられたなか、市民の感情を大きく揺さぶる事件が起きた。

暴力団追放パレード:(2010年3月)
暴力団から子どもを守るぞ!

2010年、「工藤会」は、長野会館と名付けた組事務所を設置。
事務所近くには幼稚園や小学校があることから、市民は自主的に事務所の撤去を求めて立ち上がった。

警察:(暴力団追放パレード 2010年3月)
門を閉めなさい。君たちの行為は、市民に不安を与えている

これに対して「工藤会」は、組員を大量に集めて市民を威嚇。
しかし、市民は一歩も引くことはなかった。そこで、「工藤会」のとった行動は…

記者:(自治会長宅発砲事件 2010年3月)
発砲事件が起きました

「工藤会」は、事務所撤去運動に参加していた自治会長宅に拳銃を発砲した。
さらに北橋市長には、市長や家族に危害を加えるという匿名の脅迫状が送り付けられた。

市長と市民は選択を迫られる。

ーー怖いという思いはありましたか?

北橋健治市長:
脅迫状をもらうのは生まれて初めてのことでしたからね。余り周囲を心配させたくないという思いもあったので。出来ればそのまま脅迫状を捨てておきたかった。やはり、生身の人間ですから、正面切って戦うということは勇気が要ります。
でも、脅迫状を手にして、もう選択肢はないんですね。尻尾をまいて逃げ出すか、戦うか、どちらかです。自分の場合は、市民と一丸になって戦う道を選びました

北橋健治市長:
企業の壁撃ちとか、市民の自宅に何発も銃弾を撃ち込むようなこの暴力団の行動に対して、これでは本当に街がダメになってしまう、立ち上がらなくてはと。
その中に私もいたし、みんなで決意を新たに出発することになった

勇気を出して立ち上がった市民。
結局、「工藤会」は約1年に渡る暴追運動に負け、長野会館を撤去した。
この勝利が、北九州の暴追運動を盛り上げる切っ掛けになった。

そして長野会館問題から4年後。
警察は、「工藤会」トップの野村悟被告らを相次いで摘発する「頂上作戦」を開始。
野村被告らが街から居なくなると、北九州からぴたりと銃声が止んだ。

北橋健治市長:
長い道のりでしたね。その後、何年も暴力団との戦いは続きましたが。
昔から音楽が好きで、リラックスするときはショパンの曲を聞いたりする。何十枚かな、一杯聞きましたね。そうやって自分を慰めたりした。ある人の紹介で韓流の歴史ドラマを観た。厳しい過酷な状況の中で、家族とともに懸命に頑張っていく健気なヒーローの歴史ドラマを見ていた。やっぱり頑張らなくちゃならないんだ、これも励ましになった。韓流ドラマとショパンでした

北橋健治市長:
小倉の繁華街の地価が20数年ぶりに上昇に転じたとか、IT関連の企業誘致がここ数年増えている。いろんな意味でプラスの効果が出てきている

ーー頂上作戦がなかったら?

北橋健治市長:
観光の面でも、企業誘致の面でも、努力をしても1発の銃声、また襲撃事件で、それがまた水泡に帰してしまう。そいうことが繰り返されていったのではないかと

(テレビ西日本)

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