沖縄・宮古島にある唯一の映画館「よしもと南の島パニパニシネマ」、
これまで何度も苦境に立たされながらも、ある夫婦の想いで映画館に灯りが点され続けてきた。

上映前に館長自らが観客の前で挨拶

沖縄・宮古島市 平良、島にたった一つだけの映画館がある。

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下地史子さん、この映画館の館長。

下地史子さん:
座席半分にしているんですけど、最近のお客さんは数名ですね、一回の上映で数名とか…土日は10名来たら良いのかな

史子さんがこの映画館の館長になったのは、2020年の10月。

2020年10月 下地史子さん館長に
2020年10月 下地史子さん館長に

下地史子さん:
うちは前の館長からなんですが、放送は流さずに前に行って挨拶してスタートってやるんですね。映画を楽しんで頂けたらと思います。宜しくお願いします

小さな街の映画館、何度もその灯りが消えかけたことがあった。

テレビやインターネットが普及する前、映画は『大衆娯楽の王様』として
人々に楽しまれていた。

1960年代の那覇市の映画館
1960年代の那覇市の映画館

宮古島から映画館が消えた…復活に向けて立ち上がった男

宮古島でも映画館が3館ほどある時代があったが、次第にその数は減り、2002年に『宮古国映館』が閉館して島から映画館が消えた。

シネマパニック宮古島は、2005年の8月6日、『宮古国映館』の跡地に再び映画館として開館。

2005年8月6日に再び映画館が開館
2005年8月6日に再び映画館が開館

当時、映画館の復活に向けて奔走したのが史子さんの夫・下地昌伸さん。

下地昌伸さん:
ご自分の時間を使って頂いて、映画だけではなくて、友達とか恋人とか家族の時間を楽しくここで過ごして頂ければという風に思っております

お客さん:(2005年)
ビデオで借りて観るのとは全然違う迫力があって良かったです

お客さん:(2005年)
3年間くらい映画館が閉まってて、たまに内地に行って映画観てたんですけど、ここで映画が観れて嬉しい

当時、昌伸さんは妻の史子さんにこう話していた。

下地史子さん:
(夫が)「映画館あったほうがいいよね? やろうか!」って。なんで?みたいな。なんであなたがやるの?なんじゃ?とか思ってて…宮古でゆっくり映画が観れたら良いなみたいな声もあったので

デジタル化の波が押し寄せ…資金集めるため島中を奮走

順風に走り出したと思われた映画館だったが、フィルム映画が作られなくなり、存続の危機を迎える。

下地史子さん:
フィルムがどんどん無くなって、デジタルにしないといけないという時には、もうお客さんも少なく、やる映画もどんどん無くなっていって、やっぱり厳しかったですね

デジタル機器の導入に必要な資金は約1千万円。
昌伸さんは、募金を呼び掛けるために島中を駆け回った。

下地昌伸さん:
時代の流れだから無くなってしまって良いよって判断するのは、僕ではなくて。募金をスタートさせるということは、必ずやりますという事なので

2014年 宮古島の内外から多くの協力を得てリニューアルオープン

2020年5月20日 下地昌伸さん逝去 享年54歳。

妻は亡き夫の思いを引き継ぎ、映画館を再開

下地史子さん:
年明けくらいの日本がコロナで大騒ぎになったころ、その時は自宅療養してたんで、ちょっとヤバいね、映画館は人が集まる場所だから厳しくなるねって。本人はこの後どうしようっていう感じで、今後について話し合いをちゃん今度としようねって言ってた矢先に、バタバタと体調崩して亡くなって

館長を失った映画館は、再び存続の危機を迎えた

2005年当時の下地昌伸さん
2005年当時の下地昌伸さん

2020年10月 夫の想いを引き継ぎ、史子さんが館長となり再開。

下地史子さん:
映画館を残してほしいって声がすごいいっぱいあったので、心配してるって声があったので、とにかく私が一回再開すれば誰かに引き継ぐことが出来るのかなぁ、とか漠然と考えて。
でも今は、宮古島の人達のために良いものを観てもらいたいなって、少しずつ前向きに映画館経営を考えられるような…凄い楽しいです、だから今は

上映開始前に挨拶する下地史子さん
上映開始前に挨拶する下地史子さん

島唯一の映画館では、きょうも下地さんの「映画を楽しんで頂きたいと思います」の声が、訪れたお客さんを迎え入れている。

(沖縄テレビ)

沖縄テレビ
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