広島に原爆が投下されて、2021年8月6日で76年を迎える。
原爆投下直後の広島の惨状を見た男性が岡山市にいる。95歳になっても薄れることのない記憶と、平和への思いを聞いた。

「広島市内に入ったら死体の山」
「忘れませんよ」と語るのは、岡山市に住む岡田忠雄さん(95)。
岡田忠雄さん:
あ~れー!驚いた

老いや死、認知症をテーマに演劇をする「劇団 OiBokkeShi(おいぼっけし)」の看板俳優で、「おかじい」と呼ばれている。

~1945年8月6日午前8時15分~

76年前、戦地で鉄道の建設などを行う日本軍の「鉄道連隊」に所属していた岡田さんは、列車で千葉から沖縄に向かう途中、原爆投下直後の広島の惨状を目の当たりにした。


岡田忠雄さん:
広島市内に入ったら死体の山なのよ。想像できます?できないでしょ。男やら女やら分からない。だって全部焼けてるんだから。消防団がどんどん(死体を)放り込んでいた。何十万人の死体をいちいち1人ずつ葬送できないでしょう

爆心地周辺の温度は4000度ともいわれ、その様子は当時20歳だった岡田さんの脳裏に焼き付いている。

岡田忠雄さん:
路面電車の中も焼けている。木が焼けとると思ったら、人間が焼けているの。真っ黒になって、こう(立っている)なっているから。人間が焼けて、こうなってるんですよ。4000度の温度というのはそういうもの。(川に)浮いているのよ。柱が焼けて黒焦げになった材木のように、川に捨てていた。人間ですよ

九州で迎えた終戦「あぁ人間は自由になれる」
広島市内を歩いて移動し、再び列車に乗り込んだ岡田さんは、沖縄にたどり着くことなく九州で終戦を迎えた。

岡田忠雄さん:
軍歴を解散する時(軍から離れる時)、それが一番うれしかった。その時に、あぁ人間は自由になれる。戦争に行っているわしがお芝居をするなんて、一体何をふざけているんだと言いたかったが、自由になって一番になりたかったのは役者ですね

役者を目指した岡田さんは、原爆を描いた今村昌平監督の映画「黒い雨」にエキストラ出演した経験もある。
戦禍を生き延びた岡田さんの命は、95歳になった今も舞台の上で輝いている。

おかじいから、戦争を知らない子どもたちへ伝えることは…
岡田忠雄さん:
好きなことをさせるのが一番、その人間、その子どもの最高の幸せ
(岡山放送)