金総書記激怒の原因は?

推定140キロの体重を10キロほど落としたとされる北朝鮮の金正恩総書記。その変貌ぶりに北朝鮮住民から「おやつれになった」と心配の声が上がったと異例の報道もなされた。

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その金総書記が幹部らへの怒りを爆発させた。「職務怠慢」「無能」「無責任」…口を極めて幹部らを批判した金総書記。怒りの矛先は最高幹部を直撃し、軍のトップが解任されたと見られている。一体何が起きているのか。北朝鮮メディアが公開した映像から検証してみた。

金総書記の指示で朝鮮労働党政治局拡大会議が6月29日、緊急招集された。同様の大規模会議が同月15~18日に開かれたばかりで、時間をおかずに再び会議を開催するのは異例だ。

金総書記は怒りの表情を浮かべ、緊急会議の冒頭から幹部らを厳しく叱責した。

厳しい表情を見せる金正恩総書記
厳しい表情を見せる金正恩総書記
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「重大事を担った責任幹部が(新型コロナウイルスの防疫対策に関する)党の重要決定の執行を怠ったことで、国家と人民の安全に大きな危機をもたらす重大事件を発生させた」

「幹部の凝り固まった無責任と無能力こそ、党政策執行に人為的な難関をもたらし、革命事業の発展に莫大な阻害を与える主たるブレーキだ」

「党は働くふりをするだけで心から国と人民を心配せず、保身に走る幹部をかばう権利は絶対にない」

身振り手振りを交えて発言する金正恩総書記
身振り手振りを交えて発言する金正恩総書記

怒りが収まらない様子で、身振り手振りを交え、時に問題のあるとみられる幹部をにらみつけるようなそぶりも見せた。

「幹部の中に表れている思想的欠点とあらゆる否定的要素との闘争を全党的に、より強く繰り広げる」とも述べ、金総書記の要求に応えられない幹部は容赦なく更迭する考えを鮮明にした。

金与正氏も登壇し熱弁

続いて、幹部の問題行動が資料を元に報告され、幹部数人による公開討論が実施された。

これは「思想闘争」とも呼ばれる北朝鮮独特の形式で、対象とされた人物は公衆の面前で厳しく批判され、断罪されることになる。

討論には金総書記の最側近3人である趙勇元(チョ・ヨンウォン)書記、金総書記の実妹、金与正(キム・ヨジョン)副部長、玄松月(ヒョン・ソンウォル)副部長も登壇し、熱弁をふるった。

会議で発言する金与正(左)と玄松月(右)の両副部長
会議で発言する金与正(左)と玄松月(右)の両副部長

金与正氏は1月の党大会で、第1副部長から副部長に降格したが、その後も対米・対南談話を発表するなど存在感を示している。最高幹部の更迭という重要な局面で討論に登壇したことは、党内で特別な影響力を持つことを意味する。今回の事態を受けて金与正氏の職責が引き上げられる可能性もありそうだ。

軍トップクラスらが解任か?

会議のハイライトは、党最高指導部メンバーである政治局常務委員、政治局委員・候補委員、党書記と国家機関の幹部といった要人の解任・任命だ。

特に政治局常務委員は、金総書記を筆頭に崔竜海(チェ・リョンヘ)最高人民会議常任委員長、趙勇元氏、李炳哲(リ・ビョンチョル)軍事担当書記、金徳勲(キム・ドクフン)首相というトップ5人を指すだけに、誰が更迭されても体制内部に大きな衝撃を与える。

北朝鮮メディアは、金総書記が指摘した新型コロナウイルスの感染対策に絡む「重大事件」の内容や、解任した要人の名前は明らかにしていない。

しかし、30日に放映された朝鮮中央テレビの映像には、ひな壇にいる幹部の異変が映し出されていた。

うなだれながら話を聞く李炳哲氏(黄色枠内)
うなだれながら話を聞く李炳哲氏(黄色枠内)

前列で、李炳哲氏が力なくうなだれている。この時、壇上では問題を起こした幹部に対する批判討論が繰り広げられていた。李氏は核・ミサイル開発での功績が評価されてスピード出世し、常務委員にまで上り詰めた人物。現在は党中央軍事委員会副委員長も兼任する。

意気消沈した様子を見せる朴正天氏(黄色枠内)
意気消沈した様子を見せる朴正天氏(黄色枠内)

別の場面では、同じ軍幹部である朴正天(パク・チョンジョン)軍総参謀長も、ひな壇の2列目で意気消沈した様子を見せていた。一連の討議の後、人事をめぐって挙手する際も、採決参加者の中でこの二人だけが挙手をしていなかった。

参加者の中で李炳哲(手前黄色枠)と朴正天(後列黄色枠)の両氏だけが挙手をしなかった
参加者の中で李炳哲(手前黄色枠)と朴正天(後列黄色枠)の両氏だけが挙手をしなかった

深刻な食糧危機の裏返し

軍の最高幹部が責任を問われたとすれば、一体何が起きたのか?

金総書記は6月15日の会議で2020年の台風被害の影響で「食糧事情が緊張(切迫)している」と述べ、食糧難が深刻な状況であることを認めた。また、それまでの食糧供給に「偏向」が生じていたとも指摘し、住民に対する食糧供給を持続的かつ安定的に保証するための積極的な対策を明らかにしたという。

その上で、食糧危機克服のために「特別命令書」を出し、「人民が最も関心を寄せて臨む切実な問題を至急解決するための決定的な施行措置」を講じるよう命じていた。「決定的な施行措置」とは備蓄食糧の放出、中でも軍の備蓄米の供出を命じたものではないかと考えられる。

今回、金総書記が激怒したのは、自らの命令に対し、軍が協力を渋ったためではないか、という推測が成り立つ。特別命令書発出からわずか11日後に再び会議を招集したのも、命令が実行されないことへの苛立ちが込められているようだ。

金総書記は2020年8月の台風被害の際にも、被災者向けに「国務委員長の備蓄食糧」放出を指示した。今回の備蓄食糧放出についても、その背後に広範囲での食糧不足という状況が生じている可能性がある。金総書記が特別命令書の履行に神経を尖らせているとすれば、食糧事情が想像以上に深刻化し、住民の不満が鬱積している状況になっているとみるべきだろう。

【執筆:フジテレビ 解説副委員長(兼国際取材部) 鴨下ひろみ】
【写真はいずれも朝鮮中央テレビより】

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。