金総書記の体調に異例の言及

健康管理のためのダイエットなのか、それとも健康状態に異常があるのか。北朝鮮の金正恩総書記の激やせが注目を集めるなかで、ついに北朝鮮の公式メディアである朝鮮中央テレビも6月25日、金総書記の健康を気遣う住民の声を放送した。

「敬愛する総書記様のおやつれになった姿を見ると、我々人民たちは一番心が痛い。皆そう言っている。涙がボロボロ出ると」

金総書記の健康状態は北朝鮮ではトップシークレットだけに、住民が軽々に口にすることはあり得ない。当然、当局の指示を受けての発言であり、北朝鮮メディアが意図を持って伝えたものだ。では、中央テレビが伝えた住民の「おやつれ」発言は何を意味するのだろうか。

金総書記の動静は5月に一時途絶え、6月4日に朝鮮労働党政治局会議に出席して約1カ月ぶりに姿を見せた。顔が一回り小さくなり、腕時計ベルトの締め具合からも、やせた様子がはっきりと確認された。

6月4日朝鮮労働党政治局会議に出席して約1カ月ぶりに姿を見せた金総書記
6月4日朝鮮労働党政治局会議に出席して約1カ月ぶりに姿を見せた金総書記
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度重なる健康不安説

約10年前に最高指導者の地位に就いたころ、金総書記の体重は90㎏程度と見られていた。だが、その後年々増加し、最近では140㎏に達していると推定されていた。金総書記はヘビースモーカーでもあり、体形から糖尿病や高血圧など成人病の疾患を抱えていると見られる。

肥満による体への負担は相当なもので、これまでもたびたび、健康不安説が取り沙汰されてきた。

2014年にはくるぶし部分に膿疱が生じ、これを除去する手術を受けたとされる。この際、40日間動静が途絶え、海外メディアで健康不安説が報じられると、金総書記は杖をついて視察する姿をあえて公開し、健在ぶりを示した。

2014年金総書記は杖をついて視察する姿をあえて公表した
2014年金総書記は杖をついて視察する姿をあえて公表した

2020年にも20日ほど動静が途絶え、また健康不安説が浮上した。再び姿を現した時、手首に黒い点のような跡が残っていたため、“心血管系の手術を受けたのではないか”との憶測も飛び出していた。

2020年健康不安説が出る中工場の起工式に出席し健在ぶりを示した金総書記
2020年健康不安説が出る中工場の起工式に出席し健在ぶりを示した金総書記

今回はどうか。

6月中は党の会議などに頻繁に出席し、精力的に活動しているのを見ると、体調に大きな問題はなさそうだ。韓国政府も「健康に異常はない」との見方を示している。会議中にタバコを手にしている場面もあり、ヘビースモーカーぶりも相変わらずのようだ。

同20日に国務委員会演奏団の公演を観覧した際には、金総書記は白のゆったりしたシャツにベージュのパンツ姿だった。まぶたがやや腫れ、生気がないようにも感じられなくもないが、2時間余の公演に最後まで参席していた。

6月20日国務委員会演奏団の公演を観覧した金総書記
6月20日国務委員会演奏団の公演を観覧した金総書記
公演を観覧する金総書記
公演を観覧する金総書記

動揺を抑える狙い

金総書記の公演観覧は21日に北朝鮮メディアで報じられたものの、通常とは異なり写真は公開されていなかった。一方、公演の模様は2時間の特集番組として22日から朝鮮中央テレビで繰り返し放映され、そこには金総書記の姿も捉えられていた。

25日には「公演を見た市民らの反響」としてインタビューを受けた20人のうち、年輩の男性1人が「金総書記のやつれた姿」に言及した。

他が、金総書記や党を礼賛しながら公演の感動を述べていたのに対し、ただ1人だけが金総書記の体調を気遣う発言をしており、やや唐突な印象を受けた。

金総書記が2014年に手術を受ける前にも、北朝鮮メディアは足をひきずる金総書記を「不自由な体」と報じた。当時は叔父・張成沢氏を処刑して9カ月余りで、幹部らの粛正が続き、政治的にやや不安定な時期でもあった。この時も「足をひきずる姿」というマイナス面よりも“体調が悪い時でも住民のことを思っている指導者”という印象を与えることで、住民の動揺を抑える狙いがあったと言えよう。

食糧危機で

現在、北朝鮮は経済制裁、新型コロナウイルス対策による中国との境界の封鎖、さらに食糧危機という三重苦にあえいでいる。

金総書記は6月15日、党中央委員会総会で、2020年の台風被害の影響で「穀物生産計画が達成されなかったことにより、現在、食糧状況が緊張している」と述べ、食糧事情の悪化を認めた。1990年代の大飢饉になぞらえて「苦難の行軍」という用語を用いるほど、状況が深刻である点を示唆した。

総書記は朝鮮労働党中央委員会総会の開会辞で食糧難を認めた(6月15日)
総書記は朝鮮労働党中央委員会総会の開会辞で食糧難を認めた(6月15日)

国連食糧機関(FAO)は2021年10月までに北朝鮮で86万トンの食糧が不足するとの推計を発表した。秋の収穫まで2カ月分の食糧にあたる量が不足することになり、深刻な食糧難に直面することになる。金総書記は食糧難からの脱却のために「積極的な対策を出さなければならない」と大号令をかけているが、抜本的な対策がないのが実情だ。このタイミングで、金総書記が「やつれた」姿を見せたわけだ。

一連の流れを深読みすれば、次のような理屈も成り立ちそうだ。

金総書記としては、住民に困難な状況を実感させるとともに、食糧不足などで募った不満の矛先が自身や党に向かわないようにする必要がある。そのためにも先手を打って「人民生活を心配して、問題解決のために必死に働き、そのためにやつれてしまった」とアピールしているようにも感じ取れる。

体を張ったダイエットで、果たして現在の危機を脱却できるのか。金総書記のこれからの「やせぶり」にも注目したい。

【執筆:フジテレビ 解説副委員長(兼国際取材部) 鴨下ひろみ】

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。