ハンセン病患者の強制隔離政策が憲法違反と判決されて20年
ハンセン病患者への隔離政策を憲法違反と判決した日から、5月11日でちょうど20年が経った。
この間、ハンセン病に対する差別・偏見は、どのように変化してきたのか。
20年前の5月11日、熊本で1つの判決が下された。
ハンセン病の患者を国が強制隔離したことは、憲法違反だと認めた画期的なものだった。

沖縄で原告副団長を務めたのが、金城幸子さん。
金城幸子さん:
私は心で入った裁判だったんです。心で闘うしかない。万が一負けたら「首つれ」とか、「防空壕に閉じ込める」とか、散々なこと言われたけど、どんな言葉をかけられても、お辞儀だけしよう、言葉に出さなくても良いからお辞儀だけしよう

ハンセン病は、「らい菌」が原因で、末消神経が麻痺する感染症。
国は「らい予防法」を制定し、全国のハンセン病患者を強制的に隔離した。

「石を投げられ…」6歳の時にハンセン病を発症し強制隔離を経験
沖縄には、国立の療養所として、「沖縄愛楽園」と「宮古南静園」が設置された。
ハンセン病は、特効薬が開発されて治る病気となったが、患者を社会から切り離す法律は、1996年まで廃止されなかった。
うるま市に住む金城幸子さん(79)は、6歳の時にハンセン病を発症し、家族や友だちとの生活が一変した。
金城幸子さん:
親戚のおうちに閉じ込められて、やっぱり寝るところも別々の生活で、友だちは友だちで、潮がひいたみたいに(近寄らない)。家の前は道路ですけど、そこから友だちも歩かない。そこである日いたたまれなくなって、学校まで走っていくんですね。そうすると、友だちなんかに石を投げられたり、つばをかけられたり、そういう目にあったのが、これが地獄

沖縄愛楽園に入所した金城さんは、その後、全国13カ所にある療養所で初めてできた岡山の高校、新良田教室に入学した。
卒業後は、沖縄に戻り結婚。
3人の子どもを育てるため、働く日々を送るが、ハンセン病だったことは必死に隠し続けてきた。
金城幸子さん:
私の場合はもう子どもたちには絶対ばれたらいけない。社会から守らないといけない。このことだけが一生懸命で、その肝心なハンセン病についてどういう病気なのか、それもわからない。ただ、子どもをこういう風に抱えて、守ることが自分の精一杯

「人間の尊厳」を取り戻すため… 実名で裁判に臨む
らい予防法が廃止されて3年後、この法律の違憲性を問う裁判が始まったことを知った金城さん。
頭に浮かんだのは、辛く寂しい人生を愛楽園のなかで過ごすしかなかった、知り合いのお年寄りたちの姿だった。
金城幸子さん:
おじい、おばあたちのために、このまま終わらせたくないよね、行かせたくないよね、天国には。絶対 人権を取り戻してから
沖縄の原告副団長として、実名で裁判に臨んだ金城さん。
2年後の2001年5月11日、熊本地裁は、「らい予防法」は憲法違反だとして国の責任を認めた。
その一報は、愛楽園で待っていた金城さんのもとにも届いた。
金城幸子さん:
予防法があったおかげで、私たちは社会復帰者、みなさん小さく生きていたんです、いままで。世間の目を気にしながらですから。ただいまの判決は当然のことだと、私は喜んでおります
人権の回復、そして人間としての尊厳を取り戻した日だった。
愛楽園の退所者で現在、ボランティアガイドや語り部として活動する平良仁雄さん。

回復者として名乗り出ることができたのは、熊本地裁の判決がきっかけだった。
県内の退所者は100人ほどいるとされているが、この20年間に回復者だと名乗り出た人は数えるほどしかいない。
平良仁雄さん:
少ないですよね、それはどうしてなのか。生活はいくらか楽になったけどね、顔を隠して生きる、自分の過去を話せないで生きている。その苦しさ、その苦しさはどこから来たか。らい予防法から来た、その心の傷を負っているわけですよ。この心の傷は癒されないまま

人権を取り戻しても、癒えることない心の傷をどう理解してもらうのか。
熊本地裁判決から20年経った今 差別や偏見を問い直す
2015年、ハンセン病の歴史と正しい知識を若い世代に伝えたいと交流会館の設立に尽力したのが、沖縄愛楽園の自治会長を務め、原告団長として裁判を闘った金城雅春さんだ。

金城幸子さん:
ハンセン病の歴史は、私は永遠に残してもらいたい。裁判中ですよ。もう交流会館の絵を描いていたんですよ、雅春は。だからあれは(交流会館)、雅春の遺産ですよ。もうたくさんのことをこれからもやろうという矢先だったんですよね
東京オリンピックの聖火リレーにも参加するはずだった雅春さんは、2021年3月に亡くなった。

金城雅春さんは、最後までハンセン病の啓発に捧げた人生だった。
熊本地裁判決から20年経った日を、金城さんはこのように振り返る。
金城幸子さん:
沖縄では差別・偏見に対して全然変わらないという人たちは、家にいて表に出ない
人権回復の日から20年。
本当にハンセン病の歴史を生きた人たちの人権は、本当に回復されたのか、今もハンセン病の歴史は私たちに問い続ける。
(沖縄テレビ)