4月20日はアメリカにとってまた歴史の1ページが刻まれた1日となった。ブラック・ライブズ・マター(「黒人の命は大切だ」)が世界的に広がったきっかけとなった、ジョージ・フロイドさんの死亡事件。フロイドさんの首を膝で押さえつけた、元警察官のデレク・ショービン被告に対し、第2級殺人など3つの罪で、陪審員より有罪の評決が下された。バイデン大統領も「アメリカにおける正義の第一歩」と演説するなど、アメリカは祝福ムードに包まれた。

9分以上も首を押さえつけられ死亡したのだから、有罪が驚くべきことなのか?と思う人も多いかもしれない。しかし、警察官が制圧中に相手を死亡させた事件で、有罪評決となることは決して多くはない。今回の「第2級殺人」は殺意はなくても適用されるものの、「行動を起こそうとした」という意図の証明が必要だったことや、制圧行動の正当性も争点だった。このため、簡単な裁判ではなかったようで、有罪評決は多くの人に驚きをもって受け止められた。有罪直後には、花火が打ち上げられ、歌い踊る人がひしめき合い、お祭り状態だった。

「警察官が近づくと、死の恐怖を感じた」
私たちは、判決から数時間後に現地・ミネソタ入りした。フロイドさんが死亡した場所は、日付が変わっても、次から次へと近隣の人々が訪れた。
じっと現場を見つめる男性。足が不自由なのか、杖をついている。
ーーここに来るのは大変だったと思いますが、どうしても今日来たかったんですか?
男性:
「どうしても今日来て、フロイドさんに敬意を表したかった。まさか有罪となるなんて思わなくて、泣いたよ。うれしさ、怒り、悲しさ、ジェットコースターみたいな感情だよ」

また、そこで出会った20歳の黒人男性も、評決から数時間経っていても、感情を抑えきれないようだった。
20歳の男性:
「警察官が職務質問で自分に近づいてくるたびに、ああ、自分はこれで死ぬんじゃないかな、と心臓がバクバクしてきた。ジョージ・フロイドさんが、最終的に勝利したということは…本当にうれしい」
と、声を震わせ、目頭を押さえた。

追悼の場はバリケードに囲まれ…警察官も立ち入れない“自治エリア”
フロイドさんが死亡した現場前にある食料品店。事件から11カ月、フロイドさんの似顔絵が壁画となり、たくさんの花やろうそくが手向けられているのをニュースで目にした方も多いだろう。現在は「フロイド広場」と呼ばれる。

実はこの一体は、11カ月の間ずっと車両通行止めになっている。周囲数十メートルに、バリケードが張り巡らされている。バリケードといっても、警察が設置したものではない。コンクリートに「ここから先は“ジョージ・フロイド自由の州”」などのメッセージが書かれているもので、地元のボランティアが管理している。このエリアは警察・行政でさえ立ち入れない。
私たちが深夜取材していると、ボランティアの女性に「もう遅いので、あと10分で取材を終えてください」と声をかけられた。交差点の真ん中には追悼のろうそくや、これまで同様の事件で命を落とした黒人の似顔絵が飾られていた。事件現場の目の前にあるガソリンスタンドやバス停は長らく使われておらず、人種差別への抗議の張り紙で覆われていた。
フロイドさんの命を奪った“危険な警察”を排除し、自治によりフロイド広場を守りたいという意志の表れだろう。


無罪評決の翌朝(21日)、同じ広場に訪れると、黄色いジャンパーを着たエリザさんという女性に出会った。エリザさんは毎日この場所を訪れ、バリケードの前で門番をしているという。
エリザさん:
「この場所はフロイドさんのための特別な場所でなくてはいけない。多くの人が訪れる場所であってほしい。私たちは市と話し合っているが、警察改革などの要求が認められない限り、動くつもりはない」
人種差別抗議のシンボルとなったこの場所の「自治」を、継続したいと訴えるエリザさんたち。警察と市民の間の分断はまだまだ根深い。

一方で、バリケード内の店からはこんな声もあがっている。
フロイドさんが死亡した現場の目の前の食料品店の店主は、「有罪判決で正義がもたらされたのは良いこと」と評価しつつも、周辺の道路が規制され、車両も入れない状態が続いたため客足が減ってしまったと嘆く。このため、バリケードの早期撤去を求めており、地元住民の間にも温度差があるようだ。
「世界を変えた」17歳の少女の涙
冒頭で記したように、この有罪評決は多くの市民に驚きを持って受け止められた。「有罪」に流れを変えたと言われているのが、17歳の少女だ。世界中に拡散された、首を押さえつけられたフロイドさんが「息ができない」と苦しむ映像。この映像をスマートフォンにおさめたのが、17歳(当時)のダルネラ・フレイザーさんだった。
ダルネラさんははっきりと、法廷でこのように証言した。
「フロイドさんのことを見ると、お父さんのことを思います。兄やいとこ、おじのことを思います。なぜならみんな黒人だから。家族や友達にも、フロイドさんに起きたようなことが起こるのではないかと思ってしまいます。いくつもの眠れない夜に、私はフロイドさんに謝り続けました。もっと体を張って止めれば良かった、彼の命を救えた、と。でも、それは私がするべきことではなく、彼(ショービン被告)がするべきことだったのです」
法廷内中継では顔は伏せられていたが、はっきりと、そして涙ながらに、彼女が闘ってきた葛藤を言葉にした。
検察官は、最終弁論で陪審員に対し「あなたが見たもの、聞いたものを信じてください」と訴えた。それが事件当時の映像であり、映像を撮影したからこそ苦しんだ少女の心からの思いだった。
メディアは「17歳のダルネラさんが世界を変えた」と報じている。
多くの分断と、怒りと、悲しみを産んだ今回の事件。根深い差別、警察と市民の溝はいつになれば解消されるのだろうか。アジア人へのヘイトクライムが問題となっている昨今、我々日本人も自らの問題として受け止めなければならない。
【執筆:FNNニューヨーク支局 中川真理子】
【撮影・取材:FNNニューヨーク支局 米村翼/ディエゴ・ベラスコ】