2011年の東日本大震災で津波と火災に襲われた、宮城・石巻市の門脇小学校。地震の直後に日和山に避難した当時6年生と校長に話を聞いた。
震災10年、それぞれに抱える思いがある。

「もし父がいてくれたら…」震災当時、小学6年生だった女性の思い

震災発生当時・門脇小6年生 佐藤真歩さん(22):
受験や就職の時、自分が何かを決めなきゃいけなという時に、もし父がいたら、何て思うかなとか、どうこの決定を思うかというのは聞いてみたかった

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震災発生当時、石巻市立門脇小学校の6年生だった、佐藤真歩さん(22)。真歩さんは、当時53才だった父親を震災で亡くした。

震災発生当時・門脇小6年生 佐藤真歩さん(22):
会社の制服を着ていて、名前も書いてあって「おそらく間違いないでしょう」と、「見つかりました」という連絡が母のもとに来て

門脇小の近くにあった真歩さんの自宅は津波で全壊した。

寺田早輪子アナウンサー:
10年前を思い出すことは?

震災発生当時・門脇小6年生 佐藤真歩さん(22):
私自身は正直あまりないというか

2011年3月11日。真歩さんたち、校庭に避難していた門小の児童たちは大津波警報が出された後、すぐに学校裏の日和山へ避難。山に登って約30分後、津波が街を飲み込んでいった。

震災発生当時・門脇小6年生 佐藤真歩さん(22):
覚えていたらしんど過ぎて、もしかしたら生理的に忘れようと、本能みたいなものでしているのかも

「今も、後悔していることがある」当時、門脇小の校長だった女性の思い

当時、門脇小の校長だった鈴木洋子さん(70)。海に近い門脇小では津波の発生を意識して、普段から避難訓練を重ねていた。

門脇小学校 元校長 鈴木洋子さん(70):
私は真剣に命を守るために訓練することは徹底してきた

真歩さんなど児童たちを守ろうと、必死に上った日和山への坂道。頂上で目撃した津波は、鈴木さんにとっても初めて見る光景だった。

門脇小学校 元校長 鈴木洋子さん(70):
大人だって、冷静にはなれなかった。どーんと日和山が割れそうな音を立てて津波は襲ってきました。それは忘れられませんね、耳の底に残っています

鈴木さんには、今も後悔していることがある。門脇小では、すでに下校するなどしていた児童7人が犠牲となった。そのうちの1人は地震直後に、昇降口まで迎えに来た母親と一緒に下校していった児童だった。

門脇小学校 元校長 鈴木洋子さん(70):
「お母さん!一緒に日和山へ逃げましょう!」と声をかけたのですが、あの時、もっと強く止めておけばよかった。後悔として今もある

震災発生の3月に定年退職した鈴木さん。以来、自らの経験を全国各地の教員などに伝え続けている。

門脇小学校 元校長 鈴木洋子さん(70):
訓練が本当に命を守るための形になっているか?真剣に子供たちが取り組んでいるか?防災主任、先生たちが見るべきです

鈴木さんは震災の経験などを短歌に詠んできた。

「日和山 割らんばかりに襲い来し あの波音を仕舞い込む耳」

2020年、詠んできた歌を1冊の本にまとめた。
今も、浮かび上がる思いは尽きず、真歩さんたち、教え子の成長を気にかけている。

門脇小学校 元校長 鈴木洋子さん(70):
震災を幼い子らが経験したことが生きていくうえで、どのように影響しているか、ずっと心配している

2021年春、大学を卒業した真歩さん。4月、東京の企業に就職した。
震災をどう捉えているか、今の気持ちを聞いた。

震災発生当時・門脇小6年生 佐藤真歩さん(22):
震災があったからできた経験が、今の私を作っている。たぶん父も期待や不安を持って、楽しんで見てくれているんじゃないか、そうであってほしい

震災10年、それぞれの春を迎えている。

(仙台放送)