7本指のピアニストが、絶望から立ち上がるきっかけになった「もう一回弾いて」の一言
FNSドキュメンタリー大賞

7本指のピアニストが、絶望から立ち上がるきっかけになった「もう一回弾いて」の一言

第29回FNSドキュメンタリー大賞

TSKさんいん中央テレビ
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暮らし

7本指のピアニスト

ニューヨークを拠点に、世界で活躍するピアニスト、西川悟平さん(45歳取材当時)。

ピアノを弾く時の指使いは、独特だ。

脳の神経疾患「ジストニア」で、左手で動くのは親指と人差し指の2本だけ。そのため、「7本指のピアニスト」と呼ばれている。

西川さんは、ピアノ初心者ならば誰もが弾いたことのある「きらきら星」に特別な思いがある。
実は、絶望の淵から救ってくれた曲でもあるのだ。

このメロディーに乗せて、自分の経験を子供たちに伝えたい。コンサートの合間を縫って各地の小学校を回る、一人のピアニストの姿を追った。

(全2回、#2はこちら)

「ジストニア」で動く指は7本

コンサートで奏でられる繊細なしらべ。左手の指が2本しか使えていないにも関わらず、その演奏は、ハンディキャップを全く感じさせない。それどころか、聞く者の心をとらえて放さない。

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西川さんは、難病の「ジストニア」という神経疾患によって、左手の中指、薬指、小指が自由に動かない。動く指は7本のみ。

ピアニストとしては、致命的なことだ。

しかし、音楽の殿堂ニューヨークのカーネギーホールをはじめ、世界各地で堂々と活躍をしている。その裏には、独自に編み出したオリジナルの指使いがあると、西川さんは話す。

「頭の拍に合うように、音を少しずつずらす方法がある。0.1秒速く、低音を弾いてこっちに弾くと人間の耳にはドーンと聞こえるという手品みたいなトリック。手をクロスしたりとか、いろんな技を編み出しました。これもダメだ、あれもダメだとやってるうちにだんだんと見つかることがある」

悩み苦しんだ末に、自分ができることすべてを駆使してたどり着いた弾き方。

訪れた客も、彼の演奏に励まされることが多いようだ。

ステージから降りても、客一人一人と丁寧にコミュニケーションを取り、手を抜くことを知らない。

思い出の地でコンサート開催へ

生まれ育ちは、大阪・境市。
サービス精神旺盛な関西人気質だが、国内にもう一つルーツとも言える思い入れ深い場所がある。

それが鳥取県の倉吉市だ。
倉吉には、母方の実家があり、幼い頃は毎年のように曾祖父母の家で過ごすなど思い出深い場所でもある。

数十年ぶりの墓参りに訪れたこの日。
しかし、倉吉へ来たのにはもう一つの理由があった。

自分とゆかりの深いこの街で、コンサートを開くことが決まったのだ。

この日は、会場の下見。待ち遠しいコンサートは2020年5月に開かれる予定だ。

「きれい。鳥肌立った。カーネギーホールもすごいんですけど、倉吉の方がすごい。お客さんが近い」と興奮気味に会場を見渡す。

ピアノを始めた「意外な理由」

大阪生まれの西川さん。
父親が浪曲師だったこともあり、音楽は身近な存在だった。

そして、ピアノとの出会いは高校1年生のとき。意外な理由からだったことを明かした。

「中学の時にチューバで大阪音楽大学に行こうと思ったんですね。その時に試験で、鍵盤を弾かなきゃいけない。基本的にそれが受験だったので、慌てて高校1年生の時に始めたんですけど、それでピアノがすごい好きになっちゃって」

「絶対無理」でもつかんだチャンス

プロになるには遅すぎるスタート。
周りからは「絶対無理」だと言われながらも、現役で大阪音楽大学に合格する。そして大学を卒業後、24歳の時、大きなチャンスが訪れた。

1999年に来日したデイヴィッド・ブラッドショー氏の目に留まり、ニューヨークでの活動を始めたのだ。

ピアニストデビュー後は、誰もが憧れるカーネギーホールはじめ大きな劇場で演奏をするなど、順調にキャリアを積んでいた。

「ジストニア」の診断で人生が暗転

しかし26歳の時、ピアノを弾く時だけ指が動かなくなった。症状がもっとひどい時は、動くのは左手は1本だけに。動いたのは右手3本と左手1本、合計4本のみだった。

西川さんは、「CTスキャン、MRIを受けて、やっとジストニアという病気だとわかった。それが『一生治りません』『一生弾けません』と言われたので。未来もないし過去も…。落ち込みましたね」と、当時を振り返った。

ジストニアは、脳の神経疾患の一つ。
身体の一部で痙攣や硬直の症状が出る病気で、彼の場合はピアノを弾く時だけ指が曲がり、自由に動かせなくなった。

ピアノを弾く時にだけ発症するのは、「動作特異性ジストニア」と呼ばれる。
文字を書く、楽器を演奏するなど、複雑で正確さが求められる動作を長年続けている場合に多い症例だ。

海外の調査では、全体の発症率が3400人に1人というのに対し、プロの音楽家では、100人に1人と高い発症率が報告されている。

それぞれの指の感覚をつかさどる大脳の領域は決まっている。
西川さんの場合、脳が発達し終わった年齢からピアノを始めたため、使う脳の領域が拡大し、違う指の領域と重なってしまったため、神経の伝達に異常が発生、症状が現れたと考えられている。

絶望の淵から再び運命が動き出す

遠い異国で、まるで死刑判決を受けたようだった。

「強いストレス、強い劣等感の中でずっとドキドキしながら、何時間も練習し続けたのが、結局“やりすぎ”になった。15歳から始めた僕と3歳から英才教育を受けている子では基盤が違う。プレッシャーにもなって。『一生治るものじゃない』と言われてうつ状態になりました」

一時は、絶望の淵に沈んだことも。世界トップレベルの舞台で、無我夢中で練習したことが、逆に西川さんのピアニスト生命を危機に陥れてしまったのだ。

しかし、西川さんのピアノ人生は、この後思いがけない転調を見せる。
指が動かないピアニストに、かつてのファンの一人が「自分の経営する幼稚園で働かないか」と声をかけてくれた。

この時、子供たちにせがまれて弾いたのが、「きらきら星」だった。

西川さんは、「最初は5本指で弾いて、こっち3本、こっちが2本で。違った指使いで弾くっていうことが、もう(曲への)冒涜と思ったりしている時期があった」と当時を振り返る。

理想からかけ離れた演奏に、本人は絶望的な気持ちだったが、子供たちは違った。
子供たちから飛び出した、「もう一回弾いて!」の言葉。それは、絶望の淵から救われた瞬間だった。

「きらきら星」から一歩ずつ…

幼稚園の仕事をくれた人、そして子供たち、たくさんの人に助けられて、西川さんは再び歩き出した。けれども、指は動かないままだった。

指が動かないため、独自の弾き方を体に覚えさせようと、何度も何度も繰り返す。スムーズに弾けるようになるまで、7年かかったという。

一度は、カーネギーホールで演奏したこともあるピアニストが、幼稚園で15年間も働きながら自分の運命を少しずつたぐり寄せていったのだ。

「皮肉にも、10本指はあってテクニック的に苦労がなかったときよりも、障害を持った時の方が上手に弾けるんだなと思った。上手と言っても自分の思いの丈を音に乗せて弾けるというところでは、今の方が断然できる」と、西川さんは話す。

今では指は7本まで動くようになり、再びスタインウェイホールやカーネギーホールなどの大舞台に立ち、海外では「奇跡の7本指のピアニスト」と賞賛されるようになるまで復活した西川さん。
後編では、母・そして子どもたちへの恩返しでもある日本国内での演奏と、このコロナ禍でこそ始めた新たな演奏を追った。

【後編】絶望から救ってくれた「きらきら星」 7本指のピアニストが子どもたちに伝えたいこと

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『きらきら星を君たちに~7本指のピアニスト~』)

7本指のピアニスト

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