東日本大震災では、被災地の子供たちが抱えるストレスや教育環境の格差も心配された。そうした子供を支える「ハタチ基金」をご存じだろうか。

あの日に生まれた子供が大人になるまで

ハタチ基金は日本財団と被災地支援実施団体の共同プロジェクトとして、2011年4月に設立。企業や個人から寄せられた善意の寄付金を、被災地の子供の学び・自立の機会を支える団体に助成金として渡すことで、子供たちを支援してきた。

ハタチ基金のウェブサイトより
ハタチ基金のウェブサイトより
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特徴は活動期間を震災から20年(2031年)としていることで、「震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで」支えたい思いが込められているという。

震災発生から20年間、継続的な支援をする
震災発生から20年間、継続的な支援をする

ハタチ基金はさまざまな支援につながっていて、例えば、認定NPO法人の「カタリバ」は助成金を活用し、「コラボ・スクール」という放課後施設を運営。仮設住宅や県外での避難生活を強いられた子供の心のケア、居場所の確保などに役立ててきた。

コラボ・スクールは放課後の居場所づくりなどに取り組んできた
コラボ・スクールは放課後の居場所づくりなどに取り組んできた

また、公益社団法人の「チャンス・フォー・チルドレン」は助成金を活用し、経済的に困窮する世帯に「スタディクーポン」(学校外教育に使途を限定したクーポン)を配布。塾や習い事に活用してもらうことで、教育格差の解消に取り組んできた。

教育格差の解消などを目的としたスタディクーポン
教育格差の解消などを目的としたスタディクーポン

助成金はこのほか、待機児童の解消や学生への無料学習会の開催などにも活用されている。

基金の事務局を務める「公益社団法人ハタチ基金」によると、支援総額は約11億5000万円(2021年3月時点)、支援した子供はのべ約55,700人(2019年度末時点)にのぼるという。

こうした支援の裏では、被災地の子供が抱える悩みなども見てきたはずだ。震災から10年という折り返し地点を迎えて、何を思うのだろうか。ハタチ基金の事務局にお話を伺った。

失ったものを渡すだけではこの子たちの悲しみは癒せない

ーーハタチ基金の設立経緯を教えて。

ハタチ基金は教育系NPOの理事たちの発案で生まれたもので、きっかけは2011年4月、理事の一人が被災地の避難所を訪れたことです。そこでは17歳の少女が、「遠慮しているから」と小さな子供と遊んであげていたのですが、その少女は地震発生時から両親が行方不明で、遺体安置所で探さなければならない状況でした。

そのとき、失ったものを渡すことだけではこの子たちの悲しみを癒すことはできない。長く寄り添って支援していくことが重要と感じたことが、設立の経緯になります。

少女は悲しみをこらえて子供と遊んであげていた
少女は悲しみをこらえて子供と遊んであげていた

ーー発生から20年の支援を決めたのはなぜ?

震災では避難所生活はもちろんのこと、その後の生活再建も大変でした。小さな子供は発生当時の記憶はないかもしれませんが、忙しい生活の影響を少なからず受けているはずです。大人になるまで見守っていく必要があると思い、20年としました。


ーー被災地の子供はどんな悩みを抱えている?

震災の悲しみを抱えたままの子供がいます。みんなが経験しただけに、言語化して口に出すことができないというか…。津波で人や物が流された光景を見たことを、支援活動の場で涙ながらに初めて話せた子供もいました。語弊があるかもしれませんが、肩の荷が下りるというか、抱えたものを言語化して、消化できるような機会が必要だと感じました。

放課後の居場所がない子供もいます。例えば、宮城・女川町のある学校では、仮設住宅が点在していることなどから、小学生は1年生から6年生まで同じバスで帰る生活が続きました。小さな子供も6年生の授業が終わるまで、帰宅を待たなければなりませんし、友人と道草をする経験もできません。学校外教育の環境で課題があると感じました。

支援では子供が気持ちを打ち明けられることも大切にしている
支援では子供が気持ちを打ち明けられることも大切にしている

被災経験から「自分に何かできないか」と成長した子供も

ーー支援活動で重視していることは?

ハタチ基金は、お預かりした寄付金を被災地で活動する団体に助成していますが、職員の多くは実際の支援に携わっています。そこでは、震災を経験して「自分に何かできないか」という意識を潜在的に持つ子供が増えていると感じているといいます。

そうした子供の成長につながる環境は、重視したいと思っています。例えば、支援団体の一つでは「My Project」という活動を展開しています。子供が周囲の課題を見つけ、自分にできることを考え行動し、そこからまた学ぶという活動です。


ーー具体的にはどんな例がある?

My Projectに参加した子供だと、岩手・大槌町の男子学生で、母親を津波で亡くした経験から、防災行政無線の避難アナウンスの改良案を作った例があります。この町は地震発生時に「津波の危険があります」などと警報が鳴るのですが、震災では逃げなかった人もいたそうです。

彼は母親のような最後を迎える人をなくしたいという思いから、「地震発生から何分、津波到達まで何分」という具体的な放送ができないかと、行政側に何度も掛け合いました。その結果、行政側も提案された避難アナウンスを採用できないかと検討しているといいます。

被害を受けた岩手・大槌町
被害を受けた岩手・大槌町

ーー支援活動で印象に残っているエピソードは?

中学生のときに大学の話を聞いたことで、成長した女の子は印象に残っています。彼女は自宅を流され、学校の運動場に作られた仮設住宅に家族で暮らしていました。ただ、自宅が狭いので近くのコラボ・スクールに来て、支援をしていた大学生と話をしたりしたそうです。

そこから、大学進学を志して勉強に励むようになりました。当時はやんちゃで学力も基礎的なクラスでしたが、管内で一番の高校に進学して国立大学に進みました。今は被災地の復興計画にも興味を持ち、言いたいこともあるそうです。被災地には課題も山積していますが、彼女のような成長を見ると希望もあると感じます。

子供が勉学に励むきっかけになった例も多いという
子供が勉学に励むきっかけになった例も多いという

ーー2031年に向けて思うことは?

被災地では震災をきっかけに、子供の支援団体も作られていますので、そうした芽を育てていく存在になれればと思います。同時に支援活動は運営を助成に頼っている部分もあるので、地域が運営できるように移管していくことも目標です。災害は日本全国で起こるので、そのときどんな支援が必要なのか、知見を残していければとも思います。

支援活動は今後も続けられていく
支援活動は今後も続けられていく

被災地の子供は悲しみを抱え込んだり、放課後の居場所がなかったりと、さまざまなつらさを感じている。その一方で誰かの役に立ちたいと、自分にできる行動も起こしている。

そしてハタチ基金は今後も、そうした子供を支援していきたいとのことだ。震災から10年は一つの節目だが、この支援の輪が途切れることがないよう、一人一人ができることを考えたい。

(画像提供:公益社団法人ハタチ基金)

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プライムオンライン編集部
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