福島県浪江町。
沿岸部から300mほど離れたところにある請戸(うけど)小学校。
震災当時、この場所にも津波が押し寄せた。
校舎にいた82人の児童は避難して全員無事だったが、浪江町では182人が死亡し、今も31人が行方不明のまま。
震災当時、請戸小の6年生だった大学生の横山和佳奈さん(21)。
横山和佳奈さん;
堤防から何軒先なのかがわからなくて、誰の家かわからないんですよね…誰だろう。
震災前まで浪江町で祖父母と両親、弟の6人で暮らしていたが、津波で自宅は流され祖父母が犠牲に。
さらに町は一時、原発事故の避難区域に指定され、長い避難生活を余儀なくされた。
横山和佳奈さん;
自宅はたぶん、ここの砂利になっているところから、堤防のあたりまでですかね。あんまり請戸に戻ってきている感じがしないというか、そういうのはあるので。本当にこの家(自宅)の場所がわからない…。
震災で一変した故郷の風景…。
そんな中、横山さんが当時通っていた請戸小は、津波が押し寄せた当時の姿をとどめていた。
原発事故で15歳未満の町への立ち入りが一時制限されたため、避難後、横山さんが再び学校を訪れたのは、震災から3年後のことだった。
校舎を訪れた高校生(当時)の横山さん;
今はもう実感がわいてるんですけど、一番最初に学校に来た時には、自分がテレビを見てる感じです。見てるものすべてが…。
大切な故郷の記憶を残したい。
2018年10月、横山さんは請戸小の保存を検討する委員会のメンバーに加わり、校舎を震災遺構として残そうと活動を続けてきた。
横山和佳奈さん;
請戸に戻ってきたなと、唯一感じるのが請戸小。私は請戸小が壊されたら、もう請戸に戻ってくる意味はないと思うぐらい、私の中の請戸の象徴として建っているような建物なので、これがなくなったら本当に請戸じゃなくなっちゃう気がする。
横山さんが参加した検討委員会の提言を受け、浪江町は2019年3月に校舎を震災遺構として保存することを正式に決定。
2020年度までには整備を終えたいとしている。
横山和佳奈さん;
ここに学校があったよという事実ではなくて、学校があって、こんな被害があったんだよ、波ってこんなに怖いんだよっていうの直に感じてもらいたい…。
震災前まで2万人を超えていた町の人口は、2019年8月の時点で1126人、町民の帰還率はわずか5%に留まっている。
請戸小を震災遺構として残すことは、県の内外で避難を続ける町民にとっても大きな意味があるという。
横山和佳奈さん;
請戸小は姿形は何も変わらず残っている、唯一 自分の記憶を思い出させるものだし、帰ってきたと心の底から思える場所。
県内外から訪れたいろんな人が覚えていてくれれば、地元の人も忘れないし、請戸という地域が消えなくてすむと思う。
請戸を残すためにも、とりあえず覚えていてね、忘れないでねという思いが一番。
決して色あせることのない故郷の記憶。
請戸小は震災と原発事故の教訓を伝えながら、変わりゆく町の未来を見守り続ける。
(福島テレビ)