2016年4月に発生した熊本地震。

熊本市の住宅の被害件数は12万件超えと、県内の被害の半数以上を占め、その市内でも特に大きな被害を受けた南区で、牛舎を運営する牛島誠二さん。

亡き妻と建てた牛舎は、巨大地震を耐え抜いた。

しかし牛島さんの自宅は全壊し、地震から4年半以上たった今も牛舎に住み続けている。

「ゆっくり自分の都合で眠れるし、住めば都」と語る牛島さん。

一方で、父に畜産を辞めて楽な生活をしてほしいと願う娘。

新型コロナの影響も依然としてある中、未だ完全に復興していない熊本で、後継者不足から衰退する産業と闘いながら生きる牛島さんの牛舎暮らしを見つめた。  
 

新築の家より牛との生活を選ぶ父

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熊本市南区。市内でも特に大きな地震の被害を受けたこの地域に、地震から4年近く経った2020年4月初め、繁殖農家の牛島誠二さんの「家」がようやく新築された。

しかし、牛島さんは地震直後から牛舎で暮らし続け、新居には「食事に行くぐらいですね」とそっけない。

「孫たちが居るから気は楽というかね。しかし子牛がいたり発情が来たり、牛が飛び出したり色々するから…。牛の管理は私がしないといかんしね」

孫の声より牛の鳴き声が気になる、そんな父を、娘の貴子さんはため息まじりに心配する。

「父は何があろうと牛が好きなんだなって。持病を抱えているので、正直母が亡くなった時もそうだし、地震の時もそうだし、父には『もうやめたほうがいいんじゃないの』とは言ったし、言ったことで怒られてケンカにもなったこともあるし…」

牛島さんの食事は、娘の貴子さんが作り仮設住宅から持ってくるが、いつも食べるのは1人きりだ。

70代半ばを迎える牛島さんにとって、365日続く牛の世話はやはり重労働。父を気遣う貴子さんが、その仕事を手伝っている。 
 

自宅が全壊、牛舎暮らし

牛島家が100年以上住んでいた家は、熊本地震で全壊判定を受けた。

「最初は土足ではいるのに抵抗があったけど、だんだん慣れてくるとしょうがないと思って…。先祖代々の人たちがここで雨露しのいで生活してきたんだから」 

地震から半年あまりが経った2016年11月、再建に向けた自宅の解体が始まった。

「こうやって壊されるのを見るのは、やはり胸が痛むというか、心臓によくない」 

ただ、悲しみにくれる暇はないほど、牛の世話がとどまることは無く、地震直後から牛舎に住み着いた。

元々管理室だった部屋を「特別仮設」と名付ける。 
紹介してくれたその部屋には、もちろんエアコンもない。 

「餌が遅れると牛が鳴く。時間通りにやっていけば牛が鳴くこともない。不平不満を言うわけでもないし。牛は嘘をつかない。人間は嘘をつくけれども。 
嘘は言わないように、人の好かんことは言わんようにって、牛から学ばせてもらう。だから牛が好きなんです」 

一息つくのは、解体された家の風呂釜を取り付けた特製牛舎風呂だ。

「今日も一日無事に終わったなって。牛も事故なく、自分もなんとかそれなりに過ごせたなと思いながらね」 
 

亡き妻と二人三脚で働いた牛舎

牛島さんが仮設住宅ではなく“牛舎”で暮らす理由は、牛のためだという。 

「牛がおるから。事故を起こすわけにはいかん。お産でも死なせたらいかん。暑かろうが寒かろうが、牛が亡くなるということは、それだけ損失が大きくなる。夜中でも牛が鳴く。子牛が外に飛び出したり、親牛が離れたりいろんなことが起こる。ここにおらんと鳴く声も聞こえないし」 

牛舎には、母牛・子牛を合わせて約50頭がいるが、一番大切な仕事は安全に子牛を産ませることだという。 

「やっぱり口当たりがよくて肉本来の健康成分が人間の体に取り込めるっていうような牛を目指している」 

ここで産まれ大切に育てられた子牛は、西日本各地から肥育農家や食肉のバイヤーが集まる熊本の家畜市場で競りに出されるのだ。牛島さんの牛は肥育農家からの評価も高く、競りで最高値をつけたこともある。

この日、孫が曳いた子牛は85万円ほどで競り落とされ、ここから餌代などを引いた金額が牛島さんの収入になった。 

26歳のとき5歳下の益子さんと結婚した牛島さん。1977年に牛舎を益子さんとわずか夫婦2人の力で建て、二人三脚で牛を育ててきた。 

「5年もしたら、もう何も言うことはないという感じだった。ようやってくれたなと思いますね。
今考えても、いい夫婦じゃなかったかなと思います。本人はどうかしらんけど」 

そう言って笑うが、40年近く連れ添ったある日、「会議を終わって時間が経つけど、全然迎えに来ないもんだから、牛舎に電話したら誰も出ない。貴子が見に来たら、牛舎で倒れとる…」

愛の妻は牛舎で意識不明の状態で見つかり帰らぬ人となった。 

夫婦の思いがつまった牛舎の屋根は、地震から2年ほど経ってようやくふさがった。
 

「ここで寿命を全うしてほしい」

繁殖農家である牛島さんにとって、発情を迎えた牛への受精卵移植は最も重要なものだ。

発情を見逃せば次の出産までの間が延び、余計に経費がかかってしまう。経済動物とも呼ばれる牛は、人間に貢献してくれる一方、いつかはその役目を終える時が来る。

「この牛がその最たるものですね」と指差すのは21歳(人間で100歳超え)の雌牛だ。 

「我が家ではこれが一番年齢がいってるのかな。しかし若い時にこの子は子供をいっぱい作って貢献してくれてる。
もう3年ぐらい種が付いてないので、もうそろそろという感じだったんだけど、延ばし延ばしにしていて」 

通常の農家であればもう面倒は見ない牛だ。

それでも牛島さんは「寿命を全うしてここで倒れて亡くなったって言えばそれが一番いいんだろうけどね」と、優しい目を向ける。 

繁殖農家は国内で毎年およそ2000戸ずつ減少しており(2019年時点で全国約4万戸)、それぞれの農家が後継者という面で厳しい事情を抱えている。 

「孫3人のうちのひとりでも『牛飼いたい』って希望があればそれが一番だろうと思うけどね、いつも窓口を空けている」と笑う。 

地震から約4年、待ちに待った自宅が完成した。階段を登ったり扉を一つ一つ開けて楽しむ孫たちの姿に、「新しい歴史が始まるのかなっていう感じですね」と感慨深い表情だ。
牛島さんの牛舎暮らしも、終わりを迎えるかと思われていた。 
 

「ゆっくり自分の都合で眠れるし、住めば都」

新型コロナウイルスの影響が日本中で広がり始めた昨年4月、愛情をもって育てた子牛を、市場で競りに出す日だ。 

牛島さんは、新型コロナの影響で価格も下がるのではないかと考えていた。飲食店は休業を余儀なくされ、肉の消費が落ち込んできているのを身にしみて感じていたからだ。 

「いつもだったら70万円くらいしていたんだけどね、自信作だったけど今回はどうなのか…」 

牛島さんの悪い予感は的中し、落札価格は49万1000円。

「やっぱりこれが今の相場でしょうね。これを気に高齢畜産農家はやめる一つのきっかけになる。飼料の値段がどうも上がりそうだというような感じだから」 

そんな先行きの不透明さを振り払うかのように、自宅新築後も牛島さんは牛舎で暮らし続けた。

娘は、父に畜産を辞めて楽な生活をしてほしいと願う。 

「牛がいることで父の行動範囲が狭まっているのは間違いないので、この時でいいかな思う時に牛を全部売ってもらって、母と行きたかったところ、お友達とか海外にも行ってみたいなとか、まっさらにした状態で、何の不安もなく日々を過ごしてもらいたい」 

しかし牛島さんの考えは違う。

「牛と共にいるここでの生活に悔いはないですね。ボーイズアンビシャスというか、その気持ちはやっぱりずっと残っています。 何かに挑戦していく、人間亡くなるまで挑戦をしていく。夢を見るっていうかね。

だから『やめようかな』って言った時点から、やはり気力とかハリとか夢とか情熱とかが衰えるんです。それが牛の状態に移っていく。そういうことはしたくない。

最後の最後まで選択肢は色々あるにしても、自分で最善を尽くして、そして譲り渡す。孫がすれば孫に譲り渡す。そこまで健康でね、務めることができれば」 

そして「あんまり頑張らんでもいいんだけどね、自然体」と笑いながら続けた。 

牛島さんは、自身に大きな影響を与えたのは、北海道開拓の父クラーク博士だと話す。クラーク博士の言葉には続きがあると言われている。

“ボーイズビーアンビシャス ライクディスオールドマン”

“少年よ大志を抱け この老人のごとく”

牛島さんは現在もなお約50頭を飼っている。しかし新型コロナの影響で、子牛の落札価格もまだ見通せない状況が続く。

牛島さんは「ゆっくり自分の都合で眠れるし、住めば都」と、すべてが詰まったこの牛舎で今も暮らしている。

(第29回ドキュメンタリー大賞『牛島さんの牛舎暮らし』)