岩手県内には、福島第1原発を撮り続ける写真家や、いまだ出荷制限を余儀なくされている原木シイタケ農家など、東日本大震災の原発事故と向き合う人がいる。

宮城県・村井知事:
最後まで悩んだが、(再稼働を)了解することで意見の一致を見た

11月11日、女川原発の再稼働に、宮城県など地元自治体は同意を表明した。

宮城県・村井知事:
福島第1原発事故を教訓として、(危機管理の)高みを目指していかなくてはならない

盛岡出身の写真家が撮影した“当時”

事故から5カ月後の福島第1原発で撮られた写真。
撮影したのは、盛岡出身の写真家・小原一真さん。

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写真家・小原一真さん:
福島に初めて訪れた時に、知り合いを通じて紹介された人がいたが、福島第1原発で働く作業員の人だった

その出会いをきっかけに、小原さんは、自身も作業員として原発に入り、撮影をした。

写真家・小原一真さん:
当時、26~27歳くらいだったけれど、それよりも6~7歳くらい若いような人たちが働いていて、どういう状況で、どういう思いで働いているのかを知るために撮影しようとしていた

30年余りたった今も続く“その後”

小原さんは、同じく原発事故のあったチェルノブイリも取材している。

写真家・小原一真さん:
甲状腺の病気を抱えたマリアという女の子の撮影をした。事故の4カ月後に生まれて、おなかの中で被ばくした可能性がある。最終的には、橋本病という診断がされるが、19年かかっている。あと9年たった後に、原子力発電所事故を結び付けるイメージ

30年余りがたつ今も、事故の“その後”は続いていたという。

写真家・小原一真さん:
現在進行形で抱えている人たちがいるという事実を、見る人も発信する側も認識として持っていく必要がある

原発事故から、まもなく10年。岩手で事故の影響が報じられることは少なくなった。

“9割辞めた”原木シイタケ生産を続ける農家は…

佐々木久助さんは、一関市大東町で原木シイタケを育てている。

現在、露地栽培の原木シイタケは、花巻より南の13の市と町で、国による出荷制限の対象になっている。

制限には「一部解除」があり、県のガイドラインに従って栽培し、検査に合格した生産者のみ出荷できる。

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
本来は地域の木を使うが、今は福島原発の放射性物質で使えないので、洋野町から

原木やシイタケを地面に直接触れさせないなど、厳密な管理が求められる。

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
植え付け後、地面につけない。発生させる時も下に敷物をちゃんと敷いて、土に触れないように

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん
原木シイタケ生産者の佐々木久助さん

こうした対策を経て、佐々木さんが出荷を再開したのは、3年前のこと。
しかし、ただ解決に向かっているわけではない。

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
問題なのは買っている原木の価格が4倍している。証明できるものは東京電力に賠償請求をする

 気を遣う栽培管理や賠償請求など、これまで必要の無かった作業が出てきたため、地域の多くの生産者たちは辞めていったという。

ーー生産者は事故前と比べてどれくらい?

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
1割

ーー残りの9割は?

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
(生産を)辞めた

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
事故の大きさが大きいゆえの不安と、本来やらなくてもいい、いろんな労力を多用しないとだめ。それでも作らなければという思いに至った人が、今やっている

県では、現在も年に1万件余り、農林水産物の放射性物質濃度を検査している。

この日は、別の地域の生シイタケの検体が届いていた。
専用の装置で、1kgあたり100ベクレルの基準値を超えていないか調べる。

県薬剤師会検査センターの人:
ヨウ素不検出、セシウム134不検出、セシウム137不検出。最近、県の食品はほとんど不検出のことが多い

しかし、消費者と密接な食の問題だからこそ、検査が無くなることはない。

県農林水産企画室・鈴木茂寿企画課長:
消費者に安全な県産農林水産物を供給していく観点から、引き続き、放射性物質濃度の測定を続けていく必要がある

岩手でも、事故の“その後”は続いている。

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
除染した表土の落ち葉や、地表5cm分くらいの土が入っている。

原木シイタケ生産者の佐々木久助さん:
これをどうするかが国で決まっていない。簡単には終わらせないという状態。その中で向き合って生産行為をしている

(岩手めんこいテレビ)

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