アメリカから戦時中の映像を取り寄せ、分析する活動に取り組む大分県宇佐市の団体「豊の国宇佐市塾」が、旧日本海軍が1943年に撮影した映像を公開した。
公開された戦時中の映像を見て、故人に思いを馳せる人たちがいる。戦死した旧日本兵2人の遺族を取材。初めて見る生前の映像に遺族はー
旧日本海軍が撮影した戦時中の映像 公開した団体は「血縁の方々に見てもらいたい」
「豊の国宇佐市塾」は2026年5月、旧日本海軍が撮影した戦時中の映像を公開。分析の結果、1943年4月7日に南太平洋のガダルカナル島方面への出撃だと特定した。
映像には搭乗員たちの姿も映っていた。
「一番階級の高い人が敬礼することになるので、 この小隊で一番階級の高い人が中西さんということになる。ほぼほぼ間違いない」
映っていた敬礼する搭乗員について、分析した豊の国宇佐市塾の織田祐輔さんは大阪出身の中西義男さんだと話し、「血縁の方々に見てもらいたい。生前の姿が映っているということを伝えていきたいし、後世に語り継いでもらいたい」と語った。

若くして戦死した旧日本兵の遺族は「立派な兄貴だと思う」
中西さんの遺族に映像を見てもらおうと、大阪へ向かった。
「目のところとか、目から鼻にかけて面影ある」こう話すのは、中西義男さんの弟・義明さん88歳だ。
義男さんは中西家の長男だった。
映像が撮影されたこの日、出撃したものの、機体の不調で引き返したという。義男さんはその約2か月後の出撃で24歳の若さで戦死した。
「立派な兄貴だと思う。(映像が)出てくるというのはうれしいこと」と義明さんは思いを語った。

戦死した搭乗員の弟は兄の事を深く知ろうと各地をまわった
ーー中西義男さんのおい・中西匠さん
「明さんに見せてあげたかった。喜ぶで泣いて」
明さんは戦死した義男さんの弟だ。次男だったことから、戦地に向かう義男さんから長男の役割を託されたという。
義男さんが残した手紙には次のように記されていた。
<明君が今家で一番大きいのだから、 美佐子や義明や勝ちゃんをかわいがってやらなくてはいけないよ>
自分に思いを委ねた義男さんのことを深く知りたいと、明さんは高齢となっても各地を訪ねてまわったという。そして2023年、90歳で兄の元へと旅立った。
映像を見た明さんの息子の中西匠さんは「まさかと思っていると思う。動くもの(映像)が残っていたというのは。お墓に報告に行く」と話した。

機体を操縦していたのは滋賀の蔵元出身の搭乗員と特定
映像を見て、故人に思いをはせる人は滋賀県にもー
「初めて見た。どんな気持ちで(機体に)乗っていたのかなと」
こう話すのは、創業約170年の蔵元の6代目、岡村博之さんだ。
映っていた飛行する機体が、宇佐市塾によって先々代である祖父の弟・貞之助さんが操縦するものだと特定された。

映像が撮影された後 機体は対空砲火で撃墜
貞之助さんについて、博之さんは家族から、11人いたきょうだいの中でも特に優秀で元気な人だったと聞いていたそうだ。
映像が撮影されたこのあと、機体は対空砲火で撃墜され、貞之助さんは26歳で戦死した。
この日ともに出撃した大分市出身の元搭乗員が当時のことを手記につづっていて、こうした記録によって、映像は特定されたのだ。
『命令一下、出で発つは』(著:松浪 清/光人社)
<温和で、紳士的な岡村中尉が、被弾機をあやつりながら、敢然として体当たりする姿を想起すると、身のひきしまる思いがする>

80年以上の時を経て映像は平和の尊さを伝えている
「どんな気持ちで逝ったのかなと。悔しい部分もあるし、非常に複雑。本当に…」と岡村さんは涙ぐんだ。
時を超えて受け継がれた親族が経験した戦争の記憶。在りし日の姿をとらえた映像は平和の尊さを伝えている。


