東日本大震災の津波で父を亡くした一人の高校生は、悲しみと向き合いながら「この経験を将来の子どもたちに伝えたい」と誓った。その思いから15年余り。教師となった佐藤諒さん(31)は、岩手県大槌町の高校で自身の体験を語る特別授業を開いた。当たり前の日常が決して当たり前ではないこと、そして大切な人への感謝を伝えることの尊さを、生徒たちへ届けた。
震災で父を失った日
岩手県内陸部の北上市出身の佐藤諒さん(31)。
現在は沿岸部にある県立大槌高校で数学教師として教壇に立っている。
東日本大震災から15年半を迎えるのに合わせ、佐藤さんは「今を生きる」と題した特別授業を行った。
教材として用いたのは、津波で父を亡くした当時の自らが書いた作文だった。
『体育館の冷たい床に横たえられていた父と、6日ぶりの対面をした。覚悟していたとはいえ、その衝撃はたとえようもなかった』
高校生だった佐藤さんの悲痛な思いが、原稿用紙に刻まれていた。
何気ないあいさつが最後の言葉に
2011年3月11日、震災の発生当日の朝、父・正行さん(当時49)は、佐藤さんを北上市内の高校まで送り届けた。
車を降りる際に交わしたのは、いつもと変わらない一言だった。
「行ってきます」―― しかし、それが父との最後の言葉となった。
正行さんはその後、仕事で訪れていた沿岸部で津波の犠牲となった。
佐藤さんの作文にはこう記されている。
『「行ってきます」そう言って私は車を降りた。いつも繰り返してきたこの何気ないあいさつが、まさか父と交わす最後の言葉になろうとは―』
津波直前に届いた父からのメール
父・正行さんの遺体は、現在の三陸鉄道・新田老駅付近(宮古市)で見つかった。
佐藤諒さん:
父親は車ごと流されたんですけど、その車があったのがここなんです。
佐藤さんは毎年の命日などにその場所を訪れている。--父を悼む時間は今も続いている。
宮古市の田老地区では震災前から高さ10m、総延長2400m余りの巨大な防潮堤が整備されていた。
しかしあの日、津波はその防潮堤を越えて町を襲い、222人が犠牲となった。
津波にのまれる直前、正行さんは佐藤さんへ1通のメールを送っていた。
『大丈夫か?どれくらい揺れた? 父ちゃんは沿岸を走っている。津波にのまれるかもしれない』
自らも危険な状況にありながら、最期のときまで案じていたのは息子の身だった。
悲しみの中で見つけた将来の道
父を失った直後、佐藤さんは現実を受け止めることができなかった。
佐藤諒さん:
何かの間違いであってくれとずっと思っていたし、心にぽっかり穴が空いている。(父は)あまり多くを語らない人でしたね。
佐藤諒さん:
でも優しくて常に温かい人だった。本当に恩返しがしたかった。
佐藤さんがあの作文を書いたのは、当時の担任に勧められたことがきっかけだった。
悲しみをつづるうち、少しずつ気持ちが整理され、同じ思いをする人をなくしたいと強く思うようになった。
佐藤諒さん:
父親を失って、自分には何ができるんだろうとすごく自問自答したが、その経験で大きく成長したので、それを将来の子どもたちにも私の口で伝えたいなと思って。
原稿用紙8枚に及ぶ作文には、将来への決意もつづられていた。
『私の夢は教師になることだ。私がこの震災で身をもって体験し学んだことを、私は私の生徒たちに伝えなければならない』
あの日抱いた夢は、15年余りの時を経て現実となった。
現在、大槌高校で数学教師として働く佐藤さんは、震災を経験した一人として、生徒たちに命の大切さを伝えている。
二度の災害に見舞われた町で
東日本大震災で死者・行方不明者1286人という甚大な被害を受けた大槌町。
さらに2026年4月には平成以降で国内2番目の規模となる山林火災が発生した。
15年余りの間に二度の大災害を経験したこの町で、佐藤さんには自身の経験を通じて生徒たちへ伝えたいことがあった。
佐藤諒さん:
みんな誰か周りにいて日々を過ごしているはず。その人たちへの感謝の気持ちは忘れないでください。
自身が突然の別れを経験したからこそ、その言葉には重みがあった。
後悔とともに伝える「感謝の大切さ」
特別授業で佐藤さんは、今も胸に残る後悔についても生徒たちに語った。
佐藤諒さん:
(父に)感謝を伝えられなかったことが今でも悔いが残っている。「ありがとう」の一言すら言えないままお別れしてしまった。
佐藤諒さん:
みんなは俺みたいな人間を見られたから同じ思いを抱えないよう日々生きてほしい。
生徒たちは佐藤さんの言葉をしっかり受け止めていた。
1年生の生徒は、「私たちが何気なく過ごす毎日は当たり前ではなくて、一日一日を大切に過ごさなければと思った」と話した。
別の生徒も、「反抗期などで感謝を伝えられないことがあったから、大切な人に感謝をしていきたい」と受け止めていた。
自身の経験を次世代へ
50分間の授業は、生徒だけでなく佐藤さんにとっても特別な時間となった。
「(作文を)あのとき書いた自分は、教員になって震災の経験を語ることを夢にしていたので、その夢は十分達成できたと思う。ちゃんと生徒に届いていればいいと思う」と話す佐藤さん。
当たり前の日々の尊さを伝えたい――。
父との別れをきっかけに抱いた決意を胸に、佐藤さんはこれからも生徒たちと向き合いながら、「今を生きる」ことの意味を伝え続けていく。

