この夏、四国は渇水に見舞われた。ニュースで頻繁に取り上げられたのが、早明浦ダムの底に立つ旧大川村役場だ。
今や「渇水の象徴」ともいえる建物だが、歴史をひもとくと、全く別の顔が見えてきた。
“山の都”に持ち上がったダム建設計画
高知県の土佐町と本山町にまたがる早明浦ダム。吉野川上流に位置し、総貯水量3億1600万トンと四国最大を誇る。9月1日、取材班はその上流にある大川村へ向かった。
湖底から見えてきたのは、54年前に水没した旧大川村役場だ。ドローンカメラが捉えた3階建ての建物には、村議会の議場もあった。
現在の大川村は人口337人(8月末時点)。離島を除き全国で2番目に少ない。信号は一つだけでコンビニもスーパーもない。
しかし、かつては銅がとれる白滝鉱山で栄え、1955年には人口が4000人を超えていた。デパートや映画館が立ち並ぶ「山の都」として、にぎわっていたのだ。
転機は高度経済成長期の1960年(昭和35年)。国が吉野川上流にダム建設を緊急に進める計画を明らかにした。
当時の記録映像のナレーションは「下流の洪水調節を図るとともに、各種用水の供給と発電を行う早明浦ダムの建設がその主眼であった」と語る。
映像には「ただ今から発破を行います。直ちに退避願います」という呼びかけの音声など、進んでいく工事の様子が残されている。
一方、大川村・本山町・土佐町の一部が水没対象となり、地域を挙げた反対運動も起きた。
「反対のとりで」と村を二分した補償金
ダム建設に反対した村は1962年、水没予定地の船戸地区に新しい役場を建てた。
これこそが現在の「旧大川村役場」であり、元々は「ダム建設反対のとりで」として建てられたものだ。
1階を森林組合が使い、2階で役場職員が業務を行い、3階が村議会の議場という造りだった。
村で生まれ育ち、現在はダムに沈んだ集落で商店を営んでいた明坂義和さん(88)は「県議会の議場へ行って反対した。“むしろ旗”を立てて持って行った」「ダムのために村民が犠牲になっている」と振り返る。
しかし、国の補償金による立ち退き交渉が始まると村の団結に亀裂が入っていく。
建設反対派は70%ほどだったというが、「『お宅の財産は1ヘクタール500~700万円になる』と言われて飛びついた。なし崩しになっていった」と明坂さん。
当時中学生だった現在の大川村村長・和田知士さんは、「お金の力はすごく強くて。村民を二分した一因にもなった。水没補償金をもらって大川村を離れることを良しとする人もいる。ずっと守っていかなければならないという者もいる」と語る。
個別の交渉は4年に及び、最終的に300世帯以上に数十億円が支払われた。水没世帯が70と最も多い船戸地区に対し、国は現在の役場がある高台を移転先として整備した。
しかし、「(高台に)上がってきたのは3軒だけ。愛媛県に行ったり、高知市に行ったり、土佐町、本山町へと、バラバラになってしまった」と明坂さんは振り返る。
水没地区にあった船戸小中学校について、当時の映像は「いよいよ小学校も移転する日がきた。先生も生徒も荷物を分け持って懐かしい教室や運動場にさよならをする。古い学びの庭は、やがて湖底に沈んでいく」と伝えている。
故郷が沈む日、涙で見つめた光景
1971年、ダムの貯水が試験的に始まった。そんな中、補償金を返還し最後まで残ったのが、現在の村長・和田さんの一家だった。
「父は大川村が大好きで、吉野川が大好きで、絶対この大川村を守っていかなくてはならないという思いが強かった」という。
「今でいうと社会問題になるであろう状態」まで水没地区で暮らしていたという村長の和田さんだが、翌年の豪雨で避難を余儀なくされる。
「母親は風呂敷一つ、姉は炊飯器一つを持って。どんどん水かさが上がってきて家が水没するので逃げた。家財道具一式すべて流された」と振り返る。
やがて集落は完全に沈み、住民は信じられない光景を目の当たりにする。船戸小中学校の校舎が、ひっくり返った状態で、4キロほど下流まで流されていたのだ。
「それを見て、村民誰もが『惨めやな』と思った」と明坂さんは語る。
流される学校を記録に残さなければとカメラで撮影していた明坂さんの妻・静子さんは「(流される学校を見て)みんな涙を流していた」と明かす。
集落が沈んだ1972年には白滝鉱山が閉山。村の人口はわずか数年で3分の1以下に激減した。
「兄弟、親子以上に付き合っていた隣人がいなくなる。寂しい」と明坂さんはこぼす。
「渇水の象徴」が語る故郷の記憶
1975年、総事業費330億円、高さ106メートルを誇る早明浦ダムが完成した。
高さ106メートルを誇る早明浦ダムが完成した記録映像のナレーションは「四国総合開発の要となる早明浦ダムがついに完成した。このダムを人々は『四国のいのち』と呼んでいる」と伝えている。
以降、四国が渇水に見舞われるたび、その象徴として全国に報道されるようになる。
しかし、明坂さんには複雑な思いがある。
「『見世物じゃないぞ』という思い。どれだけ惨めになったか、どれだけ苦労があったか、他の人は知らない。いつまで経っても笑顔では話せない暗い気持ちはある」と打ち明ける。
和田村長も「治水・利水いろんな面で貢献しているダムなので否定はしないが、明坂さんと同じ思いを持っている。元の大川村を残したかった」と胸の内を明かす。
「四国の水がめ」早明浦ダムの底には、大好きだった故郷の思い出と、離れざるを得なかった人々の悲しみの歴史が沈んでいる。
取材: 玉井新平(高知さんさんテレビ)
