“志”のある若者が、続々と集まる鉄工所が福岡の“水郷の町”柳川にある。その理由を探った。
柳川を水門で守ってきた鉄工所
福岡県の南部、有明海に面した水郷・柳川市。柳川といえば町中に張り巡らされた掘割。いくつかの水門がある。実はこの水門、柳川市でつくられているのだ。

製造したのは、市内にある創業約80年の歴史ある鉄工所『乗富鉄工所』。

乗富鉄工所が製造している水門は、全てその場所場所に合わせたオーダーメイドだ。

水路が張り巡らされた柳川の町をこの水門で守ってきた。

小型の水門から超大型の水門まで幅広く製造している乗富鉄工所には80人ほどが働いている。

鉄工所の仕事は『きつい・汚い・危険』のいわゆる3Kのイメージ。

しかし、それとは全く違うと話すのは、4年前に入社した竹嶋海音さん。「鉄工所からはイメージできないような取り組みをしていて、すごく面白いなと思って入社しました」と話す。

鉄工所の変化には、4年前に代表となった3代目の乗冨賢蔵さん(40)が、大きく関わっていた。
代表就任後も試行錯誤 失敗の連続
代表の乗冨さんは「私が家業に戻ってきたのが9年前で、当時はすごく人が辞めている時期で、職場は“昭和な感じ”で、働き方、給与、いろんな面で遅れていたので、人が辞めていくという状況だった」と振り返る。

働き方改革が、叫ばれ始めていた時期に手をこまねいていた乗富鉄工所では、職人の約4割が退社。

3代目の賢蔵さんは「会社に残った人の共通点は“モノづくり”がすごく好きで、そこを大事にすべきだと思って、私たちは職人を“メタルクリエイター”と名付けて、本当に“モノづくり”が好きな人たちが集まる会社にしよう」と決めたという。

そんなモノ作りが好きな職人たちの集団、その名もメタルクリエイターたちの共通認識は、会社が潰れればモノつくりができなくなるという強い危機感。これが新たな製品開発にチャレンジしていく最大の推進力となった。

しかし、はじめから順調だったわけではなかった。味噌屋の『樽運び器』は、個々のサイズに適応できず、大型のゴミ取り機はニッチ過ぎて全く売れず。鉄製の傘立ては、デザインは良かったものの「重すぎる、高すぎる」とやはり売れず。

試行錯誤の連続で、技術力はあるものの市場のニーズを捉えきれていなかったのが最大の敗因だったという。
起死回生のアウトドアグッズ
そうした失敗を重ねるうちに辿り着いたのがアウトドアグッズ。メタルクリエイターの1人が、趣味のキャンプで使えるものをと開発したのが始まりだった。

「グッドデザイン賞という日本の賞もそうなんですけど、海外のIF賞という世界の3大デザインアワードとか、海外の賞も頂いています」(『乗富鉄工所』乗冨賢蔵・代表)。

メタルクリエイターたちの技術力はもちろんのこと、デザイナーのアイデア、それにコロナ禍の経験を経て、市場のニーズをうまく捉えた『焚火台』は大ヒットした。

取り組んだのは商品開発と製造だけではなかった。乗冨代表は「5年前から焚火のイベントをやっているんです。そういう場から『乗富鉄工所という会社があるらしい』『柳川の水門メーカーで柳川に欠かせない存在らしい』みたいなことが、どんどん広がっていって、そこから入社する人も最近、増えてます」と話す。

生まれ変わりつつあった会社を社外にもアピールするためイベントを開催。その取り組みに興味を持った若者が集まりいまや30歳未満の人材は約20人に増えた。
町工場は今や人々が集う『ものづくりの聖地』
焚火のイベントだけでなく乗富鉄工所では、4年前から毎年、秋に工場を開放するイベントを開催。はじめての年の来場者は400人ほどだったが、イベント名称を『ツクルフェス』に変更するとその数は急増。2025年と2024年で4500人が来場する柳川の秋を代表するイベントに成長した。

かつて水門だけをつくっていた町工場は、今や人々が集う『ものづくりの聖地』へと変貌を遂げようとしている。

培ってきた技術力。そして新たなチャレンジに乗り出す若い力。相乗効果を上げている乗富鉄工所。柳川の地から全国、そして世界へとその名前が広がり始めている。
(テレビ西日本)

