終戦の日に際して、戦後を生き抜いている戦争体験者を取材している終戦企画。今日は、空襲の被害への救済を訴える人の思いを取材した。

民間の空襲被害者に一時金を

7月8日、太平洋戦争中の空襲で心と体に障害を負った民間人に、一時金50万円を支給することなどを盛り込んだ救済法案が国会に提出された。対象者は現時点で約3000人と推計されている。

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河合節子さん(87)は、法案提出の様子を傍らで見守り、「廃案なんてことには絶対ならないよね 」とつぶやいた。

1945年3月10日のアメリカ軍による東京大空襲の際、当時5歳だった河合さんは家族と離れ疎開していたが、父親は大やけどを負い、母親と2人の弟は命を落とした。

 河合さんは当時の様子について、「大きな穴を掘って、遺体をどんどん投げ込んで、上に土をかぶせていました。人間として扱われたのではなくて、単なるゴミです」と振り返った。

国からの補償なし

父親はやけどに苦しみながら、河合さんとともに戦後を生き抜いたが、国からの補償はなかった。国は、元軍人や軍属やその遺族にのべ60兆円を支給した一方で、民間人は補償の対象としなかった。

 河合さん自身は補償の対象ではないが、国会前で防空頭巾をかぶり、訴えを続けてきた。

河合節子さん:
お母さんや、弟たちに、戦争の犠牲者だと国が認めたということを報告してあげたいです。やっと一人の人間として国が認めたんだよって 。

しかし、救済法案は会期末を迎え廃案となった。自民党内で合意を得られなかったことが大きな要因となった。

超党派の「空襲議連」の会長で、法案作成に参加した自民党の平沢勝栄衆院議員は、「自民党の中の反対の方を説得することができなかった。数えるほどの少数の方の反対のために、この法案を通すことはできないと」と話した。

廃案を乗り越え、未来へ続く闘い

それでも河合さんは、この法案が未来の平和につながると信じている。

河合節子さん:
次の世代の人たちは、自分たちが同じ被害に遭ったときに、前の人たちが結局我慢し続けて終わったんだから、自分たちも我慢し続けることになるって。それを今の人たちは受け入れるでしょうか。やっと入り口にたどり着いたという感覚だったんですね。ですけど、その扉は開かれなかった。これからも扉をたたき続けるしかないと思います。

(8月12日放送 Live News days)

フジテレビ
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