2026年8月15日、終戦から81年を迎えた。熊本県の沖合に沈む軍艦「長良」。アメリカ軍に撃沈されて348人が犠牲となり、そのうち46人が石川県出身者だった。戦争の記憶を後世につなぐために始まった長良沈船調査プロジェクトに密着した。

1944年に撃沈された軽巡洋艦「長良」とは

軽巡洋艦「長良」沈船調査プロジェクト
軽巡洋艦「長良」沈船調査プロジェクト
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深い海の底から姿を現したのは大きな黒い影。さらに見えてきたのは砲台のような形をした物体だ。

1944年8月7日に撃沈された長良
1944年8月7日に撃沈された長良

熊本県天草諸島の沖合に沈むのは、82年前にアメリカ軍の魚雷攻撃を受け沈没した軽巡洋艦「長良」。長良の沈没で348人が犠牲となり、このうち乗組員46人は石川県出身だった。

道下功さん(84歳)
道下功さん(84歳)

道下功さん(84歳):
これは私の父なんですけど、これですね四男坊、私の叔父さんになるわけやね

長良が魚雷を被弾して沈没、亡くなった
長良が魚雷を被弾して沈没、亡くなった

長良の乗組員だった金沢市出身の道下吉男さん。魚雷攻撃を受けて沈没した長良で亡くなった。軍艦長良石川会に所属していた功さんの母みつさんは、吉男さんの慰霊を長年続けていた。しかし功さん自身は沈没当時2歳だったこともあり、吉男さん本人や長良のことはよく知らない。

道下功さん
道下功さん

道下さん:
父の弟は海軍で船に乗っていたということは聞いているんですけど…

軍艦「長良」に、なぜ吉男さんのような石川県出身者が数多く乗っていたのだろうか。

長良に石川県出身者が数多く乗っていた訳とは

今から約100年前の1922年。長良は、長崎県佐世保にある海軍の工場で完成。全長158m、船の重さを表す排水量は5170トンに上る。

1939年には、長良が所属する海軍の拠点が京都の舞鶴鎮守府に移り、舞鶴鎮守府が管轄していた石川県を含む北陸など日本海側を中心に多くの兵士が乗船したのだった。その後、長良はミッドウェー海戦やソロモン海戦に参加。そして事件が起こったのは、戦局が厳しさを増す太平洋戦争の最中だった。

1944年8月7日「長良」撃沈される

軽巡洋艦・長良
軽巡洋艦・長良

1944年8月7日正午ごろ、沖縄から鹿児島に疎開者を運送する任務を終え、佐世保港に向かう途中…

アメリカの潜水艦から魚雷4発を被弾し沈没
アメリカの潜水艦から魚雷4発を被弾し沈没

乗組員の証言:
艦体に強い衝撃があった。気がついたら真っ暗な水の中であった。ああ、これで人生が終わりだと思った。故郷のこと、育ててくれた伯母のことなどを思い出した。

長良は天草諸島・牛深(うしぶか)沖で、アメリカ軍の潜水艦「クローカー」による魚雷攻撃を4発受け沈没。乗組員583人のうち235人は救助されたが、348人は命を落とした
金沢市出身で長良の乗組員だった道下吉男さんもその一人だ。

功さんの母・道下みつさん
功さんの母・道下みつさん
軍艦長良石川会
軍艦長良石川会

慰霊を続けていた功さんの母みつさんは39年前に亡くなり、軍艦長良石川会も高齢化などを理由に20年以上前に解散した。長良のことを語り継ぐ人は年々少なくなっている。

熊本県天草市牛深町
熊本県天草市牛深町
寄贈された遺品や遺影
寄贈された遺品や遺影

熊本県天草市にある軍艦長良記念館には、遺族や関係者から寄贈された遺品や遺影が数多く展示されている。

「長良」とみられる写真
「長良」とみられる写真

しかし沈没した長良の写真は29年前に無人撮影されたこの1枚だけ。これが長良かどうか判別することも難しいという。

長良沈船調査プロジェクトが始動

こうした中、水中探検家の伊左治佳孝さんが中心となり立ち上がったのが、長良沈船調査プロジェクト。次の世代に長良の歴史を継承するため、確かな記録を残すことが目的だ。

水中探検家・伊左治佳孝さん
水中探検家・伊左治佳孝さん

伊左治佳孝さん:
知らないことが100%悪ではないんですけど、知ろうとする時に知れないとか、知るきっかけがあった時に知ることができたらいいかなと思っています。

水深40mを超えると特殊な技術が求められる
水深40mを超えると特殊な技術が求められる

伊左治さんはこれまで水深40m以上に潜るテクニカルダイビングの技術で、戦時中に山口県で183人が亡くなった「長生炭鉱水没事故調査」など、国内外で数多くの水中調査を行ってきた。

伊左治さん:
僕が動けば継承を途切れずに進めることができるのに、やらないというのは自分に対しても寂しいなという思いがある

叔父を亡くした道下功さんもこのプロジェクトに期待を寄せていた。「少しでも分かってくれれば一番良いと思いますけども、どの程度まで分かるかなと思いますけども…」

7月21日、長良の潜水調査

7月21日「潜水調査プロジェクト」
7月21日「潜水調査プロジェクト」

7月21日、いよいよ潜水調査プロジェクトの当日を迎えた。

伊左治さん:
ご遺族の方から(長良の写真を)遺影に供えたいというご連絡をいただいているので、それができるような写真を撮ってお渡ししたいなと思っています

牛深港西 約10キロの海が沈没地点
牛深港西 約10キロの海が沈没地点

長良が沈没したポイントは、牛深港から約10キロの沖合にある。今回の調査では、遺族からの要望がなかったため遺品や遺骨の収容は行わない。「語り継ぐ材料」として写真や映像を撮影、今の長良の姿を記録することを目指す。

伊左治さん:
撮影したいものとしては、船だって分かるような写真・映像、長良と特定できるような特徴のある構造物や物品などが撮影できたらいい

長良の沈没地点は、なんと水深97mだ。

タンク5本と水中スクーターなど総重量100キロを背負って海に潜る。

「長良」は果たして見つかるのか

97mの海底を目指す
97mの海底を目指す

海底からの浮上時間も考慮し、調査に費やせる時間は僅か25分間。その時間内に長良を見つけ撮影するという難しいミッションだ。

錨の着底地点に長良は見当たらない
錨の着底地点に長良は見当たらない

潜水開始から8分。錨を落とした海底に到着したが、そこに長良の姿はなかった。ここから伊左治さんは落ち着いて潮の流れを確認。落とした錨が潮で流された可能性を考慮し、長良の位置を推測する。

ついに軍艦「長良」を発見!
ついに軍艦「長良」を発見!

そして、潜水開始から13分後、ついに…
「あった!」

沈没した長良の船体
沈没した長良の船体

目の前に姿を現した軍艦「長良」。伊左治さんのチームは、82年間海に眠り続けていた長良の撮影に、有人で初めて成功した。

撮影のために残されたわずか6分の間に、伊左治さんは船と認識できる姿や長良の特徴を捉えた砲台などをカメラに収めた。

伊左治さん:
船とかこういう場所はやっぱり相性があるんですよ。すぐに見つからなくても辿り着けたというのは、(亡くなった乗組員に)歓迎して頂けたと思うので、それが船にお眠りになられてる方の思いであったら嬉しいなと思います。今後語り継いでいく上で良い材料になると思うし、僕らのやったことが次の1ページになれば良いと思います。

「長良」の映像を見た道下功さんは

「長良」の映像を見る道下功さん
「長良」の映像を見る道下功さん

金沢市の遺族、道下功さん。撮影された長良の映像を初めて見ます。

道下功さん(84歳)
道下功さん(84歳)

道下さん:
凄いもんやね。何十年間も海の底にそのままだからね。かわいそうなもんやと思う。撃沈されるとも思わんと乗っていたと思う

沈没から82年。海の底に沈む軍艦・長良の姿を捉えた記録は、戦争の爪痕を今に伝え、次の世代へ語り継ぐための新たな礎となっていきます。

(石川テレビ・8月14日放送)