戦後生まれが日本の人口の約9割近くを占めるまでになるなか、次の世代への記憶の継承が課題となっている。この夏、戦争を知らない福島県会津若松市の中学生が被爆地・広島を訪れた。そこで感じたこととは。
■当時の凄惨な状況を知る
「正面からB29がやってきました。ドラム缶のようなものが落ちるのを見たという生徒がいます。みんな空を仰いでみていたんです」
「ピカっと光った瞬間爆心地からわずか600mの所にいた生徒たちは、熱線に焼かれ小さな身体は吹き飛ばされ地面に叩きつけられました」
2026年7月、会津若松市の第一中学校で行われた「被爆体験伝承講話」
講師を務めたのが被爆体験伝承者の青木圭子さんだ。
広範囲に及ぶ爆風と強烈な熱線。広島市では原子爆弾によって約14万人が亡くなったと推計されている。
当時の凄惨な状況について説明する青木さんの話に、生徒たちは真剣に耳を傾けていた。
中学3年生の満田凰雅さんは「自分がもし体験したらと思うと、すごく心が重くなって、生きていけないような気がする。自分たちの今の生きている毎日が、どれだけ幸せなことかとか、言葉のひとつひとつに重みがあってためになった講話でした」と率直な思いを口にした。
■記憶を風化させない 中学生が被爆地へ
満田さんは、会津若松市が中学生向けに毎年8月に行っている被爆地派遣事業の代表メンバーに選ばれた。
「言葉では表せない、教科書でもうまく表現できないことを、実際に自分の目で見て体験できることをうれしく思います。広島のいい所も、原爆・戦争のことも、色々な所に目をつけて行きたいです」と意欲を示した。
終戦から81年。記憶の風化が危惧される中で、2026年に派遣された中学生は13人。
この事業を初めて31年、会津若松市はあわせて333人の中学生を被爆地へ派遣してきた。
会津若松市総務課の長島秀昭さんは「終戦から80年以上経過している。80年前に何があったのかを現地で感じて、色んな事を考えるきっかけになってほしい」と話す。
厚生労働省によると、被爆者は高齢化が進み平均年齢は86.6歳。2025年にはじめて10万人を切った。その数は毎年数千人のペースで減少している。
満田さんなど派遣された中学生は、原爆ドームなどを見学し8月6日の平和記念式典にも出席した。
■目の当たりにし芽生えた思い
2泊3日の派遣事業から戻った満田さん。実際に広島で見た経験、直接、被爆者から聞いた話の重さを痛感していた。
「空気が一瞬で変わった気がして。写真とか言葉とか絵とか、あった瞬間に心臓が誰かに掴まれている感覚がした」と満田さんは振り返る。
「被爆を体験した女性が言っていたのは、次世代の若い人にどんどん伝えて欲しいと。その気持ちを背負って、学校とか地域とかで1人でも多く、平和に触れる・戦争に触れる機会を自分たちで増やしていけるよう頑張りたい」と平和への思いを新たにした。
戦争を知らない世代が、これから何を伝えていけるのか?被爆者たちの生の声を聞く時間は残りわずかとなっている。
