福島県会津坂下町で親しまれる「高寺芯(たかでらしん)そば」は、そばの実の中心部だけを用いた真っ白な十割そばで、文化庁の『100年フード』にも認定された名物だ。しかし、洗練された味わいの背景には、戦時中の深刻な食料難と、飢えをしのぐために食べられていた“黒いそば”の記憶が存在する。苦難の時代を耐え抜き、三代にわたって進化を遂げた極上のそばと、そこに込められた平和への思いを追う。
白く美しい『100年フード』の名物そば
福島県会津坂下町の飲食店で提供されている「高寺芯そば」は、透き通るような白さと豊かな弾力が特徴のそばだ。来店客からも「細い麺でコシがあり、喉ごしがとても良い」と高い評価を得ている。
そばの栽培から製粉、そば打ちまで手掛けるのは加藤康明さん。そばの実の殻や甘皮を取り除き、中心部にある芯の粉だけを製粉歩合50%で使用した真っ白な十割そばは、世代を超えて受け継がれる価値ある食文化として文化庁の『100年フード』にも認定された。伝統の技と工夫が詰まった町を代表する味覚だが、現在の形に至るまでには暗い時代を経ている。
戦時中の飢えをしのいだ“黒いそば”
1938年に国家総動員法が公布されると、戦時体制下で人的・物的資源の統制が一段と強化され、国民は深刻な食料不足に襲われた。
米農家であっても収穫した米は国への供出を強要され、満足に食べることができなかった。会津坂下町がまとめた町の歴史によると、日中戦争以降の戦死者は軍人や軍属だけで800人以上に上り、高寺地区でも60人以上が命を落とした。
当時食べられていたそばは、現在のような美しさとは程遠い代物であった。加藤さんは「戦中は殻や埃にまみれ、砂が混じってジャリジャリとしたそばで飢えをしのいでいた」と説明する。当時は麺として打って茹でる余裕もなく、そば粉を団子状にして焼いた「焼きそば」などを食べて飢えを凌ぐ日々であった。黒くぼそぼそとしたそばは、当時の苦難を象徴する食べ物であった。
三代でつなぐ伝統と平和への思い
戦後、苦い記憶の象徴であったそばのイメージを払拭しようと立ち上がったのが、加藤さんの祖父である義明さんだった。
義明さんはそばの芯だけを贅沢に使う真っ白なそば粉を考案した。続いて加藤さんの父・健さんが打ち方の研究を重ねたことで、洗練された「高寺芯そば」が完成し、地域へと広がっていった。
健さんは「真似のできないうまいものを作り、日々精進していくしかない」と職人としての覚悟を語る。その情熱とバトンを受け取った加藤さんも、ひもじさに耐えた先人の苦労に深い感謝を寄せる。「祖父と父が繋いできた歴史と技術に感謝し、これからは後輩たちへしっかりと繋げていきたい」と意気込みを語った。
食を通じて紡がれた平和の尊さは、時代を超えて未来へと受け継がれていく。
(福島テレビ)

