北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさんが7月、北海道で初めて講演した。
北海道で拉致された可能性があるのは全国最多の85人で、家族は今もその帰りを待っている。
「男性3人が足早に駆け寄り私と母に襲いかかってきました。抵抗することもできず口をふさがれ手足を縛られ、南京袋のようなものをかぶせられ担がれて川まで連れて行かれた」(曽我ひとみさん)

7月3日、北海道で初めて講演を行った曽我ひとみさん。
1978年8月、当時19歳だった曽我さんは母親のミヨシさん(当時46)と共に家の近くで北朝鮮の工作員に拉致された。
「景色を見るとまったく見たことのないさびれた感じの港だった」(曽我さん)
ミヨシさんとは離れ離れにされ、過酷な暮らしを強いられた。
「米に小石を混ぜてかさ上げされたものが配られたり、虫がたくさん混じった米が配られたりと考えられないことが日常茶飯事だった。日本という国は私一人など助けてはくれないんだろうという失望の中で24年間生きてきた」(曽我さん)

2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が日本人の拉致を認め、曽我さんは北朝鮮から帰国。
しかし、母親のミヨシさんの安否はいまも分かっていない。
「『ただいま』『おかえり』この言葉を1日でも早く聞きたいだけ」(曽我さん)

道内には政府が認定する拉致被害者が1人、警察庁が「拉致の可能性が排除できない」としている行方不明者が85人。
拉致の可能性がある全国871人のうち、北海道が最多だ。
「日本が海に囲まれているという地理的な条件。人口が少なく海岸線の見張りが少ないということで、北海道が狙われやすい状況だったのかもしれない」(北朝鮮情勢に詳しい 桜美林大学 塚本壮一教授)

「魚を取る作業中だったら(船は)傾く。(捜索船の)船長が『変だなこれ』と。『なんで(沈没した船が)真っすぐ下りているんだ』」(北越優子さん)
北越優子さん(81)。

1967年冬、当時住んでいた北海道オホーツクの雄武町で、父親・紙谷慶五郎さんと兄弟3人を乗せたイカ漁の漁船が消息を絶った。
「(周囲は)取りすぎで船が傾いた。遭難ではなく事故だという言い方だった」(北越さん)
4人が身に着けていたものは何も見つからず、一方で漁船は海底で発見された。

捜索にあたった船に同乗した北越さんは、船員のやりとりを耳にする。
「『これ船に穴開けられている』『海水を入れられているな』。それがあったから絶対究明すると」(北越さん)
”ただの事故ではない”。
北越さんが調べる中で町内でよく見かける女性の夫が、当時潜伏していた北朝鮮の工作員だとみられることが分かった。
「この人が工作員の妻だとは知らなかった」(北越さん)

さらに2013年、兄の同級生の男性が当時の状況を初めて証言した。
「紙谷(さん)の船が黒い船と白いマストの大きな船など3艘に囲まれて漁場から連れて行かれた」(兄の同級生)
「びっくりしました。私泣きました」(北越さん)
男性はある人物に口止めされていたと明かした。
この人物はのちに北朝鮮とのつながりが疑われる。

「『今見たことを言ったら殺すからな、殺されるからな』と言われ(男性は)40年以上言えないでいたんだと。言いたくても言えない。自分が殺される。私より苦しかったろうな」(北越さん)
直接話を聞こうと当時のことを証言した男性を捜したが、3年前に亡くなっていたことが分かった。
「4人が一緒にいるということを自分は今でも思っている。向こう(北朝鮮)で幸せに暮らしていればいいなと最近思うようになった。帰ってこなくてもいいよと。そっちで本当に幸せに暮らしていてくれれば」(北越さん)

札幌市での講演を終えた曽我ひとみさん。
「24年間北朝鮮にいる中でずっとこの時計と一緒に母を思いながら生活していた。この時計が母だと思って良いこと、悪いこと全部話しかけていた」(曽我さん)
母親のミヨシさんが買ってくれた腕時計をずっと身につけていた。
2人が拉致された日から、まもなく48年という時間が過ぎようとしている。

