その名前に懐かしさを覚える方もいるかもしれません。

「桃源ラーメン」。

天文館の老舗ラーメン店として多くの人に愛されましたが、19年前に惜しまれながら閉店しました。

その老舗が2026年5月、創業者の孫の男性によって復活・再開されました。

実はこの男性、2025年まで大手電気メーカーの技術者でした。

畑違いのラーメン道に挑んで1年あまり。

早くも復活の次の目標に向かって歩み始めた男性の姿を追いました。

1958年、鹿児島市・天文館にオープンした桃源ラーメン。

午前3時までの営業で、天文館でお酒を楽しんだ人々は締めの一杯を求めて、そののれんをくぐりました。

創業者は浜川昌子さん。

その後、息子の紘和さんが店を引き継ぎましたが、紘和さんが病気となり、2007年、惜しまれながら閉店しました。

それから19年。

2026年5月、桃源ラーメンは鹿児島市の高見馬場交差点近くに復活していました。

「ネクタイをする感覚とエプロンをして帽子をかぶるのは似たような感覚で自分的には変わらない」

そう語る、オーナーの浜川学さん(59)。

創業者・浜川昌子さんの孫です。

実は学さん、世界的メーカー・ソニーの技術者でした。

2025年3月に早期退職し、1年余りの準備期間を経て、2026年5月、祖母と父の店を復活させたのです。

「(ソニー時代)仕事で行った国が23カ国くらい。行った先々でラーメン、麺類を食べて、やはり桃源ラーメンの味がおいしかった。みんなに愛された味だし、食べてもらいたい味なので、このまま死なせるというか死滅させるわけにはいかないと思っていた」

店を手伝うこちらの女性は母・弘子さん(83)。

当初、店の再開には反対していました。

弘子さん
Q.最初に店復活の話を聞いた時は?
「『もうしないで、大変だから。体を壊すからしないで』と」

Q.でも決意は固かった?
「ですよねえ」

チャーシューやタレなどかつての「桃源」のレシピは弘子さんの頭の中に記憶されていました。

とはいえ、ラーメンはあらゆる食材や調味料の集合体です。

老舗の味の再現は簡単ではありませんでした。

浜川学さん
「親戚の試食会を10回ぐらいやっている。(何度も)NGが出ている。何が原因で違ってくるのか、なんでこんな味なのか、毎回失敗しながら対策しているので、そういう意味では(ソニー時代の)設計に似ているところが多分にある」

そしてこちらが技術者時代に培った分析力と粘り強さをフル稼働して復活させた、桃源のラーメンです。

麺を下から大胆にかき混ぜ、スープと底のタレをからませるスタイルは創業以来の伝統。

かつての桃源を知る人々からも、「懐かしい」とお墨付きをもらっていて、店の再開に反対していた母の弘子さんも顔をほころばせます。

「それはすごくうれしい。(昔の)客もすごく喜ぶし、『元気だったんだ、いくつになりました?』と」

開店からほどなくして次々と客がやってきました。

かつての桃源を知る世代、そして、知らない世代。

共通するのは「ラーメンが好き」という一点です。

来店客
「初めて食べるのに懐かしい、ルーツを感じるような。混ぜると何段も味の深みが増すようでとてもおいしいです」

Q.食べたことは?
「名前の売れているラーメンですからね」

「慣れ親しんだ味という感じ。19年前に閉まっていて本当なら食べられないので、復活して食べられて良かった」

お客と談笑する学さん。

「おいしい」というその一言が、さらなるモチベーションへとつながっていきます。

浜川さん
「当時愛されていた味を皆さんにもう一度味わってもらうことが一番。その上で心を込めて味を良くして、一人でも多くの人が『桃源ラーメンに来て良かった』と思えるような味を作り続けたい。『今後の残りの人生はラーメンに全てを注ぎ込む』という気持ちでいます」

祖母が作り、父が守った老舗の味の復活。

それを成し遂げた後に学さんが見据えるのは、世のラーメン好きを魅了する「自分のラーメン」の開発です。

元ソニーの技術者はワクワクしながらそんなラーメン道を歩み始めています。

鹿児島テレビ
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