今から半世紀前、香川県の小豆島では、甚大な被害をもたらした土砂災害が2度発生しました。島では7月12日、災害から50年の式典が行われました。当時を知る人の証言と、島の防災対策のいまを取材しました。
県などが行った式典には2つの会場で合わせて約560人が参加し、住民らが鎮魂の祈りを捧げました。
◆「わしの家内の兄弟が…」台風接近に伴う2度の土砂災害で計68人が命を落とした
小豆島では、1974年7月と1976年9月に、台風接近に伴う2度の土砂災害が発生。1974年には29人が、1976年には39人が命を落としました。
(当時のインタビュー)
「わしの家内の兄弟が…(まだ見つかっていない?)あの(山の)上にも1人兄弟がいる…」
土石流が家々を襲い、集落を飲み込んだのです。
このうち、小豆島の三都半島にある谷尻地区では9月11日の深夜、山の中腹から幅約80メートルにわたり土砂や大きな石が押し寄せました。
島の犠牲者39人のうち24人が、谷尻地区の住民でした。
◆「雨が何日も降って、天気が良くなる…そこでどーんと」穏やかな暮らしを土砂がのみ込んだ
谷尻地区に住む浜口美須榮さん(87)。穏やかな暮らしをのみ込んだ土砂災害のことをいまでも忘れることはありません。
(浜口美須榮さん)
「雨が何日も降って、天気が良くなる…そこでどーんと崩れたんです」
当時、小豆島町では9月8日からの5日間で、1年分に匹敵する1400ミリもの雨が観測されました。
◆水に弱い「まさ土」と呼ばれる地質が結果として行方不明者の捜索に影響
土砂災害の原因の一つともいえるのが島の地質でした。山の土の多くは花崗岩が風化した「まさ土」と呼ばれるもろい地質でした。「まさ土」は水に弱く、大量の土砂はドロドロの状態で堆積し、行方不明者の捜索も困難を極めました。
(浜口美須榮さん)
「こんなせまい所で24人もが亡くなった。主人のお母さんも出してあげた(助け出した)けど、太ももとすねの下、付け根が半分になった」
「主人が血止めして、朝までは元気良かった。(翌日の)12日まで生きていた」
◆2度の災害後、小豆島で進められた「防災対策」
小豆島では2度の災害を教訓に、防災対策が進められました。
県によりますと現在、集落を守る砂防ダムは222基設置されています。また、災害後に建設された集合住宅も1階部分には住居は設けられず、土石流が発生しても住居の下を通る構造となっています。
◆「島ならでは」の災害の課題を知った高校生は…
小豆島では12日、町民が見守る中、大がかりな防災訓練も行われました。
(行事に参加した高校生)
「島ならではの災害の課題があることを知った。課題を解決し、できることに貢献したいなと思い、私は消防士を目指します」
◆「あんな一瞬に来たら」50年前の光景を振り返り…安心とは思わないという意識に
土砂災害から50年…浜口さんは自らの経験から、いまも気を付けていることがあります。
(浜口美須榮さん)
「あんな一瞬に来たらどうしようもない…(山に)水がたまっても安心だとは思わない。日和になったからといっても安心はできない」
