58年前に完成した土佐清水市の銅像・ジョン万次郎。2028年から始まる大河ドラマの主人公で、観光の起爆剤として期待されています。

では、ジョン万次郎は何をした人なのか。土佐清水市のジョン万次郎資料館の展示から、波乱万丈の人生を2回に分けてお伝えします。今回は漂流から渡米まで命がけの少年時代を振り返ります。

四国の最南端・足摺岬がある土佐清水市。黒潮の恩恵を受ける漁業の町です。鮮度抜群の清水サバが地域経済を支えています。

しかし、少子高齢化が進み人口は1万1000人とピーク時の3分の1に。65歳以上の高齢者が過半数を占めています。

住民(55):
「みるみる人口も減っている。空き家も点々と出てきている。僕らが小さい頃とはガラッと変わった」

過疎化が進む町に2026年4月、明るい話題が。地元の偉人ジョン万次郎を主人公にした大河ドラマの制作が発表されたのです。

住民(77):
「楽しみでした。嬉しい。万歳」

市は大河ドラマ館の建設や、2027年の生誕200年に向けたイベントを企画し、盛り上げようとしています。活性化の切り札となる「万次郎」とはどんな人物だったのか。

土佐清水市・文化財専門員 田村公利さん:
「日米の架け橋。絶体絶命の中を生きて、生きて、生き抜いた」

土佐清水市のジョン万次郎資料館で長年、万次郎を研究する市の職員・田村公利さんが特別解説。

万次郎は1827年、中浜(なかのはま)地区の貧しい漁師の家で生まれました。9歳の時、父親が病気で亡くなり家計を支えるため漁師の見習いとなります。

14歳の冬、仲間4人と漁へ。しかし、出航から3日目。足摺岬の沖合で嵐に襲われます。

田村公利さん:
「櫓が折れて替えの櫓も流してしまって、必死で帆を開いて陸まで行きたいと願っていたが黒潮にそってどんどん流された」

漂流7日目、水も食料も尽き死のうと考えていたその時、島影が見えました。無人島の鳥島でした。

玉井新平アナウンサー:
「ジョン万次郎資料館の近くに少年時代の万次郎像があります。漂流したときの様子を表しています。後ろにそびえたつ大きなモニュメントが当時の嵐の激しさを物語っています。命からがら島にたどり着いた仲間たち。先導するように先頭に万次郎がいます。この時14歳。壮絶なサバイバルの始まりでした」

鳥島は足摺岬から750キロメートル離れた伊豆諸島の南に位置する火山島です。食べられる植物や湧き水はありません。ここで5人の命を救ったのは━

田村公利さん:
「アホウドリが子育てと越冬のため巣作りをしていた。アホウドリは人に対する警戒心が弱いので、簡単に捕まえることができる。万次郎が幸運だったのは冬場に鳥島についたこと」

洞窟を住みかとしアホウドリの肉と雨水で命をつなぎます。漂着から143日、島に大きな船が近づいてきました。アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号。そこで、万次郎の運命を大きく変えるホイットフィールド船長と出会います。

田村公利さん:
「当時、アメリカは人種差別が厳しいところ。南北戦争も起こった。船長は北部の方で人権意識が非常に高い。万次郎は小さい時から隷属的な立場に置かれ、船長の平等・人権意識・自由に対する考え方にびっくりしたと思う。心が開けた」

救助された万次郎たちは捕鯨を手伝いながらハワイへ向かいます。船長は働き者の万次郎を気に入り、アメリカへ連れて行くことに。

ハワイで仲間と別れた万次郎はジョン・ハウランド号の船員となり「ジョン・マン」の愛称で可愛がられました。

ハワイを出て1年4カ月━

捕鯨基地として栄えるマサチューセッツ州ニューベッドフォードに到着しました。アメリカは産業革命の真っただ中。鯨の油は機械の潤滑油やランプの燃料として需要が高く、捕鯨は全盛期を迎えていました。

アメリカ本土に上陸した万次郎はホイットフィールド船長の故郷・フェアヘブンへ。16歳で初めて学校に通い3年間、英語や航海術などを学びました。

卒業後は捕鯨船員として再び海へ。頭角を現し、19歳で花形の「銛打ち」を任されます。世界中を航海しながら万次郎は遠い祖国に思いをはせていました。そして、一大決心をしホイットフィールド船長に手紙を書きます。

(ホイットフィールド船長にあてた手紙より)
「I made my mind to get back and to see Dear Mother」

愛しい母に会うために私は帰る決意をしました。帰国の資金を稼ぐためゴールドラッシュに沸くカリフォルニアの金鉱で3カ月ほど働きます。

そして、ハワイへ向かいかつて漂流した仲間と再会し「一緒に帰ろう」と伝えます。しかし、1人は亡くなり1人は現地で結婚し残ることに。

万次郎は残る2人と琉球を目指します。

しかし━

田村公利さん:
「鎖国時代、外国に出たら死罪、死刑になっていた」

不安と希望を抱きながら1851年、琉球に上陸。この時、万次郎24歳。漂流から10年が経っていました…

次回は、幕末の日本へ決死の帰国。そして、万次郎がのぞんだ日米のかけ橋となる大きな仕事をお伝えします。

高知さんさんテレビ
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