岩手県沿岸北部の普代村と野田村。古くから受け継がれてきた地名には、地域の地形や暮らしの歴史が刻まれている。

県の沿岸北部に位置する「普代村」は、北三陸特有の海岸段丘が広がる地域で、壮大な青い海・青い空の景色から「青の国」と呼ばれている。

長年にわたり岩手県の地名を調べている宍戸敦さんは、普代という地名について「フタ・イ」が由来になったと考えられるという。

「『フタ・イ』には2つの説があり、1つ目は『フタ』が蓋、『イ』が川を意味し、“蓋されている川”という意味。普代川は普代浜を通って太平洋へと流れ出るが、普代浜の砂が川の流れを止めている。つまり蓋をしている状態=川の流れを止めている状態が地名の由来になったのではないか」と宍戸さんは説明する。

もうひとつの説は、「2つの川」を意味するというものだ。
宍戸さんは、「『イ』は川を意味する。一つは普代川、もう一つが茂市川で、2つの川が流れている場所が『フタ・イ』になったのではないか」と話す。

現在も普代浜では、普代川河口付近に多くの砂が堆積しており、地名の由来とされる風景を感じ取ることができる。

普代村の北側に位置する野田村。村の北部には、三陸海岸では珍しい大規模な砂浜「十府ヶ浦海岸」が広がっている。

野田村の地名について宍戸さんは、「野田は『ノタ・ヌタ・ニタ』という地名と同じで、湿地帯を表す地名だと思う」と話す。
十府ヶ浦海岸から三陸道周辺にかけては広い水田地帯が広がっており、その土地の特徴が地名として残った可能性があるという。

野田村といえば、「野田街道(塩の道)」でも知られている。
野田から北上山地を越え、盛岡や秋田県鹿角に野田産の塩を運ぶ重要な道として利用されてきた。
宍戸さんは、塩の道に関係する地名として「松鼻」「大鼻」「小鼻」を挙げ、「野田街道(塩の道)の入り口を『鼻』という地名で表現したのではないか」と説明する。

塩の道の入り口に付けられた「鼻」という地名、「松鼻」は、野田村の中心部を通る街道、そして「大鼻」「小鼻」は、盛岡や秋田の鹿角までつながる長い街道の入り口だった。

これらの地名について、「野田・塩の道を歩こう会」実行委員会の小野寺修一さんは次のように説明する。

小野寺修一さん
「松鼻は村の中心部近くに今も残る道。大鼻は村の北側を通り、葛巻町や岩手町を経て盛岡まで続いていた。小鼻は村の南側のルートで、岩泉町を通って盛岡市の山岸方面へ抜ける道だった」

野田村で塩作りが発展した背景には、地域特有の自然条件があった。
小野寺さんは、その理由について、「“やませ” (北日本太平洋側に吹く冷たく湿った風)の影響で穀物が育ちにくかったため、その代わりに塩作りが盛んになった」と話す。

さらに、周辺は砂鉄の有数の産地で、塩を煮る鉄釜が手に入りやすかったことや、十府ヶ浦海岸が塩作りに適した作業場だったことも、塩産業の発展を支えたという。

かつて野田村で作られた塩を運んだ野田街道。
現在、小野寺さんが所属する「野田・塩の道を歩こう会」では、歴史ある街道をたどるイベントを開催している。

野田村の塩を運ぶために多くの人が行き交った野田街道は、今も地域に残る地名と共に、その歴史は受け継がれている。

岩手めんこいテレビ
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