那覇の中心を貫く約1kmの道に、あるお笑い芸人の青春の記憶が点在している。
この春にバンド「照屋工務店」を結成した、お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリさん。デビュー曲のタイトルは「国際通り」。笑いの世界で生き、映画監督としても才を発揮してきたゴリさんが、なぜ今音楽で国際通りを歌ったのか。ゴリさんの青春の思い出とともにひも解いてみた。
当たり前だった「三越前集合」

那覇市出身のゴリさんにとって、国際通り周辺は物心ついた頃からの「庭」だ。親が商店を営んでいたこともあり、幼い頃からこの街の中で育った。

当時の国際通りには、地元の人々が自然と集まる「待ち合わせの基準点」があった。百貨店「三越」だ(その後「国際通りのれん街」として賑わったが、現在は閉店)。友人と遊びに行く時はとにかく「三越前集合」だったという。

「僕らの時代は『三越前集合』が当たり前。国際通りのれん街じゃないんですよ。国際通りって約1kmあって、僕のイメージでは真ん中が三越。三越で集合して、そこからどっちに行くかみたいな感じでしたね」
三越前から少し歩けば、かつては「グランドオリオン」という映画館があった。「暗い館内で隣に座る彼女の手を握ろうとして、どうしても踏み出せなかった」という甘酸っぱい記憶もこの街にしみついている。
母親の店の思い出、街と人とのつながり
国際通りからアーケードをくぐると、平和通りへと続く。

観光客の喧騒が少し遠のき、地元の空気が色濃くなるその路地に、ゴリさんの母親が商売を営んでいた建物が今も残っている。
中学生の頃、クリスマスシーズンに母の店を手伝うため、ゴリさんはサンタクロースの格好で通りに立ち、道行く人々に声をかけて客寄せをしていたという。
「2歳くらいの男の子が近づいてきて、顔の白いつけひげを掴んで引っ張ったんですよ。そしたらひげがのびて、顔が取れたと思ったのか、男の子は一瞬手を放してから『ぎゃーー』って大声で泣き出した。そしたら父親がすっ飛んできて怒鳴られて、ものすごい人の中で『すいません!』ってサンタクロースが土下座するっていう異様な光景になって(笑)」

「お母さんが商売しているときからの知り合い」という平和通りの老舗「平良カーテン」の又吉さんとのやりとりも、母の代からつながる長い縁。街と人の記憶が、あたたかな風景を浮かび上がらせる。
バンドデビュー曲「国際通り」に溢れる思い
2026年4月、ゴリさんはバンド「照屋工務店」を結成した。

Miyabi(ギター)、まっき(ベース)との3人組で、最初に手掛けた楽曲のタイトルは「国際通り」だ。
沖縄でグラスを交わす飲み仲間との会話の中で「バンドやらないか」という一言が飛び出し、その勢いで結成に至った。
歌詞を書き始めると、国際通りから平和通り、一銀通り、沖映通り、竜宮通りへと舞台が広がり続け、気がつけば10番まで書き上げていたという。

軽快なメロディに乗せて綴られるのは、賑やかな通りを舞台にした、淡い恋と日常の断片。楽曲はデジタルシングルとして配信リリースされ、YouTubeでも話題に。「沖縄を知ってもらいたい、沖縄に恩返しがしたい」その一心で音楽活動を続けている。
変わってほしくないのは「ちょっと自分勝手」
国際通りは、戦後いち早く復興を遂げた街として「奇跡の一マイル」とも呼ばれる。
沖縄戦の後、まもなく大衆娯楽の象徴として存在したアーニーパイル国際劇場に由来すると言われるその名は、沖縄の戦後史が香る。かつて県民の暮らしに密着した通りは、今では多くの観光客が訪れる観光地へとその姿を変えた。

「僕が小さいころから見ている変わらない国際通りというのは、うちの母ちゃんの代からすると実はもう変わっていて。変わって欲しくないって思うのもちょっと自分勝手かなと思ってるんです。今の子たちにとっては、今の国際通りが青春の記憶になるはずなので。きっと30年後に『国際通り変わったわ』って同じような事をいうんですよ。僕みたいに」
希望ヶ丘公園に立つガジュマルは、ゴリさんのお気に入りだ。太い根を地面に深く張りながら、変わり続ける街をじっと見下ろしている。
「だから」をつけたくなる街になってほしい
ゴリさんは「世界にここしかない雰囲気の街になって欲しいです」と未来への希望を語る。

「『だから国際通りに来たいんだ』って。『だから』がつく街になって欲しいんですよ。『“だから”沖縄に行ったら国際通りに観光に行く』『‟だから”沖縄県民は国際通りに行く』。その『だから』の中に、代替不可能な理由がある街になってほしい」
「国際通り」に綴られた賑やかさと温もりの記憶は、ゴリさんの街への思い、そして沖縄への思いとともに響き続けていく。
沖縄テレビ
