格闘家として数々の伝説を残した武尊さん。4月の引退試合では強敵相手に衝撃のKO勝ちし、有終の美を飾った。15年間の現役生活への功績を称え、武尊さんの故郷である鳥取県がチャンピオン栄誉賞、米子市が市民栄光賞を授与した。武尊さんは、地元で開かれた引退記念パーティーでは、地元への感謝と恩返しを誓うとともに、“新たな挑戦”への意欲を示した。
2026年4月の引退試合でムエタイの生きる伝説・ロッタンをKOに沈め、ONE世界チャンピオンのベルトを腰に巻いて現役生活を締めくくったK-1元3階級王者の武尊さん。
6月1日、引退後初めて地元・鳥取県米子市に「凱旋」した。集まったのは長年にわたり活動を支えてきた約180人。会場は「現役時代、たくさんの応援ありがとうございました」という武尊さんの言葉で締めくくられ、盛大な拍手に包まれた。
そして、この夜には鳥取県が新たに創設した「チャンピオン栄誉賞」も贈られた。「泣き虫タケちゃん」が世界の頂点まで駆け上がった、約15年の軌跡を振り返る。
180人が集結、米子市のホテルに歓声
米子市内のホテルで開かれた武尊さんの引退記念パーティー。会場に姿を現した武尊さんを、集まったファンや関係者が大歓声で迎えた。
「皆さんの応援のおかげで引退試合、無事に勝つことができて、ずっと目標だったONEチャンピオンシップ、世界チャンピオンのベルトをとることができました。本当にありがとうございます」
武尊さんはこう感謝の言葉を述べた。その声には、約15年にわたるプロ生活をやり遂げた充実感と、地元への深い愛着が滲んでいた。
会場には鳥取県の平井知事も出席し、武尊さんの偉業を称えた。
「試合は離れても私たちの故郷は決して武尊選手のことを忘れることはありません。武尊選手こそが私たちの『ヤマトタケル』そのものだと思います」
その言葉は会場に温かく響いた。平井知事が武尊さんをヤマトタケルに重ねたのは、単なる修辞ではない。米子市が位置する鳥取は、古くから山陰の地として独自の文化と風土を育んできた土地だ。その地を背負い、世界の頂点を目指した武尊さんの歩みは、地域の誇りそのものといえる。
鳥取県が新たに創設した「チャンピオン栄誉賞」
そしてこの夜、鳥取県が世界の頂点を極めた栄誉を称えるため、新たに「鳥取県チャンピオン栄誉賞」を創設し、武尊さんに贈った。
既存の表彰制度では収まりきらないほどの功績と判断されたのか、鳥取県がこの機に新設した賞は、武尊さんのキャリアの重みを如実に示している。
さらに米子市からも「市民栄光賞」が贈られた。伊木市長が直接、賞状などを武尊さんに手渡した。地元の自治体が一体となって武尊さんの引退と功績を称えるこの場は、地域コミュニティと一人のアスリートが長い時間をかけて築いてきた絆の結晶でもあった。
武尊さんは受賞後、こう語った。
「小さい頃から鳥取の自然と優しい人たちに囲まれて、僕が元気に育つことができて、そのおかげで格闘技にも集中できたし、今の僕があると思うので、それを地元に恩返しできるように、もっと活躍していきたい」
引退試合――ムエタイの生きる伝説をKOで撃破
武尊さんが現役に別れを告げたのは、2026年4月に行われた引退試合だった。対戦相手は「ムエタイの生きる伝説」と称されるタイのロッタン。このカードが発表された際、格闘技ファンの間では「これ以上ない引退の舞台」と話題を呼んだ。
結果はKO勝ち。武尊さんはロッタンを倒し、ONE フライ級キックボクシング暫定世界王者の座に就いた。有終の美という言葉がこれほど似合う幕引きはなかなかない。
引退後初めて地元に帰り、パーティーの席でこの約15年を振り返ったとき、武尊さんは静かにこう言った。
「ずっと必死にやっていたので、終わってみるとあっという間だった」
世界の頂点を極めた男が語る「あっという間」という言葉には、それだけ密度の濃い時間が詰まっている。
K-1史上初の3階級制覇へ――その原点は「泣き虫タケちゃん」
米子市出身で現在34歳の武尊さんは、2011年にプロデビューを果たした。「ナチュラル・ボーン・クラッシャー」の異名を持ち、K-1史上初の3階級制覇を達成。日本の格闘技界において、その名は特別な意味を持つ。
しかし、その輝かしいキャリアの出発点は、決して華々しいものではなかった。
武尊さんが格闘技と出会ったのは小学生のとき。地元で始めた「空手」がすべての原点だという。空手を教えていた恩師によると、当初の武尊さんは「泣き虫タケちゃん」と呼ばれていたほど、か弱い少年だったという。本人に確認すると、こんな答えが返ってきた。
「格闘技の才能もほとんどなくて、同級生の女の子にも負けちゃうくらい。でも、その時の経験が今にも生きている。引退する最後の試合まで自分を強いと思ってなかったので、強くないから練習しないといけないし、勝つためには人より努力しないといけないと思って、ずっとやっていた。小さいころの経験が、ここまでやれた理由」
「才能があったから頂点に立った」のではなく、「才能がないと思い続けたから努力し続けた」――。この言葉は、武尊さんの強さの本質を端的に示している。世界王者でありながら「自分を強いと思ったことがない」という逆説が、15年間の練習量を生み出したのだ。
海と砂浜と星空――米子が育てた「地元愛」
鳥取県米子市という場所は、武尊さんにとって単なる出身地ではない。「パワースポット」と本人が表現するほど、心の拠り所になっている土地だ。
「地元に帰ってくると元気になる。落ち込んでも海に行くし、友達と遊ぶ時も海に行くし、砂浜で夜に星を見たり、青春は海で過ごしていた」
米子市近郊には弓ヶ浜をはじめとした海岸が広がり、鳥取の自然が身近にある環境で武尊さんは育った。砂浜で夜空を眺め、友人たちと過ごした青春の記憶が、過酷なトレーニングや試合前のプレッシャーの中で、武尊さんを支え続けたのだろう。
現役時代には鳥取県を舞台にした短編映画に出演し、PR役も積極的に担った。米子市という地域が武尊さんを育て、武尊さんが米子市を全国・世界に発信する――そんな相互的な関係が、長年にわたって続いてきた。
今回の凱旋パーティーに約180人が集まったことも、その関係の深さを物語っている。地元のファンから注がれた労いの声は、単なるスポーツ観戦を超えた、コミュニティとしての共感と誇りの表れだ。
引退後も「恩返し」を誓う――アクション映画にも挑戦
引退後の武尊さんが向かう先はどこか。本人は「アクション映画への挑戦」を口にしている。格闘技で培った身体能力と表現力を、映像の世界で発揮することへの意欲がうかがえる。
一方で、格闘技業界そのものへの強い責任感も語った。
「僕が引退することで格闘技業界が盛り下がると言われていて、そうならないように、ほかのスポーツに負けないくらいの業界にすることが今の目標」
K-1の顔として、また日本の格闘技を牽引してきた選手として、自身の引退が業界に与える影響を武尊さんは冷静に見据えている。競技者としての役割は終えても、業界を盛り上げるという使命感は健在だ。
地元ファンへのメッセージとして、武尊さんはこう締めくくった。
「現役時代、たくさんの応援ありがとうございました。地元の支えがなかったらデビューの頃も心が折れていたと思うし、そのおかげでここまで大きくなれたので、これからは地元に少しでも恩返しできるように頑張っていくので、これからもよろしくお願いします」
「泣き虫タケちゃん」から世界へ、そして再び地元へ
小学生の頃、同級生の女の子にも勝てなかった少年が、15年のプロ生活でK-1史上初の3階級制覇を達成し、引退試合でムエタイの伝説を下してONE世界王者となった。「才能がない」という自覚が人一倍の努力を生み、米子の自然と人々の温かさがその土台を作った。
鳥取県が新たに創設した「チャンピオン栄誉賞」と米子市の市民栄光賞は、その歩みへの地域全体からの答えだ。「武尊選手こそが私たちのヤマトタケルそのものだ」という平井知事の言葉は、単なる称賛を超え、この土地が生んだ英雄への誇りの宣言といえる。
引退後もアクション映画、格闘技業界の振興、そして地元への恩返し――武尊さんが次に見せる姿から、まだまだ目が離せない。
(TSKさんいん中央テレビ)

