岩手県奥州市衣川地域にある「一首坂」には、前九年合戦に関わる有名なエピソードがあるという。
長年にわたり岩手県の地名を調べている宍戸敦さんによると「一首坂の『一首』は、百人一首の一首と同じで、和歌などを数える単位として使われるもの」だという。
一首坂は、平安時代中期から後期にかけて起こった「前九年合戦」の一場面から名付けられた地名と伝わっている。
現在の岩手県内陸部周辺で強大な力を持っていた豪族・安倍氏と、その安倍氏に対抗するため朝廷が派遣した武士たちの間で起こった「前九年合戦」。
戦の後半、朝廷軍の武将・源義家は安倍氏の指揮官であった安倍貞任を、一首坂にて追い詰めた。
宍戸敦さん
「義家が逃げる安倍貞任を追いかけ矢を構えて『衣の館はほころびにけり』と下の句を詠んだ。すると貞任は馬を止め振り向き「年をへし糸の乱れの苦しさに」と上の句を返した。矢を構えて答えを待っていた義家は返答に感心し、追撃を止めて帰ったと伝わっている」
二人が詠んだ歌には様々な解釈がある。
義家の下の句は、安倍氏の拠点「衣川館」が滅んだことを「貞任の衣の縦糸のほころび」になぞらえた句。
貞任の上の句は、長く続いた戦で疲れ、さらに衣川館が滅んだことを「自らの衣の糸の乱れ」になぞらえた句と考えられる。
「一首坂」という地名は、この“一首の歌が詠まれた”ことにまつわるとされています。
現在も伝承地として地域に残されている「一首坂」。
奥州市ガイドの会の佐藤もとさんは、「義家石」と「貞任石」という大きな2つの石について、2つの石の距離で義家と貞任は歌を詠み合ったと伝わっているのが一首坂だと話す。
佐藤もとさん
「追い詰められた状況で歌を返すことができる、安倍氏の教養の高さが分かる。この石からも、この一首坂という地名からも伝わるようなエピソード」
源義家と安倍貞任が和歌を詠みあった一首坂。
その逸話は、いまも地域で大切に語り継がれていた。