岩手県奥州市の南部に位置する衣川地域の地名の由来を探る。
長年にわたり岩手県の地名を調べている宍戸敦さんは、「衣川は奥州市の一番南側に位置する。地名は『衣川』という川が由来と考えられている」と説明する。
そのうえで、衣川の由来は2つ考えられるという。
宍戸敦さん
「1つ目は『コロ』という言葉の中に糸繰車(いとくりぐるま)という意味もある。くるくる回る様子が川が大きく蛇行する様子、川の曲流部がたくさんあるところが衣川の地名の由来の一つと考えられる。もう一つは、元々激しい暴れ川で上流から石がコロコロゴロゴロ流れて、石が河原のところにたまり『コロコロゴロゴロ』が衣川の由来になったという説だ」
宍戸さんによると、衣川は歴史的にも重要な意味を持つ川だったと言われているという。
この「衣川」の歴史上の重要な意味について、平泉世界遺産ガイダンスセンターの八重樫忠郎センター長は次のように説明する。
「今の衣川は非常に小さい河川だが、かつては大きな川だった。当時の日本国の北の境界に位置していた。当時は日本国は同じ地続きのところに境界があり、衣川より南には日本国に住む人たちがいて、衣川の北側には蝦夷と呼ばれた日本国に属さない人が住んでいた。今で言う国境として長い間位置づけられていた非常に重要なところだったということになる」
そして、この衣川のすぐ南には、平安時代に奥州藤原氏の政治・経済・文化の中心地として栄えた「平泉」があり「衣川」とも深い関係がある。
八重樫さんは「衣川が境界としての意味合いがあるために、ここを境に戦争がよく起きた」と話す。
八重樫忠郎センター長
「当時は“蝦夷”の安倍氏が境界を越えて南側に勢力を伸ばし始め、国家側との争いに発展していった。それによって前九年合戦が始まった。前九年合戦は衣川を境に始まり、最終的に安倍氏が滅びる。ただ、安倍氏の血を引いた奥州藤原氏が先祖の遺恨の地である衣川の南に平泉を開くという流れにつながっていく。世界遺産の平泉は、衣川があってのことと言っても良いかもしれない」
平泉発展の礎となった「衣川」は、古くから都の人々の憧れの場所でもあったとされている。
八重樫忠郎センター長
「境界の川なので、異国が川を境にある。異国情緒にあふれた憧れのようなものを中央の方々は持っていた。衣川という「衣」というのは天女が着ているもの、今で言えば素晴らしいドレスに満ち溢れた世界が広がっているみたいな異国情緒で、みんなが憧れたんだと思う」
異国情緒あふれる憧れの地、その情景や響きに惹かれ沢山の衣川に関する和歌が詠まれた。
中でも、西行法師は、このような一首を残している。
「とりわきて心もしみてさえぞわたる 衣河みにきたるけふしも」
八重樫忠郎センター長
「西行法師が初めて衣川に来た時に“やっと衣川を見られた”という感慨を詠んでいる。衣川というものが都の人たちにとって、いかに憧れの地で、一生に一度は行ってみたいところだったのが分かる」
歴史深く、風情にあふれた「衣川」には、都の人たちが憧れた異国情緒の雰囲気と平泉発展の礎が今も続いている。