広島の原爆で散った移動演劇隊を追悼する
太平洋戦争の終結から今年の夏で81年を迎える。
戦争を直接体験した世代が次々と世を去る中、広島の原爆で命を落とした移動演劇隊「桜隊」を追悼し、その悲劇を語り継ごうとする活動が続いている。
そこに愛媛県出身の若い世代が加わった。
「私たちがつないでいかなきゃいけない時代になっている」
その言葉が、活動の意味を静かに、しかし力強く物語っている。
広島の原爆で命を落とした移動演劇隊を追悼する人たちがいる
東京・目黒の五百羅漢寺。
ここに広島の原爆で亡くなった、ある劇団の慰霊碑がひっそりとたたずむ。
移動演劇「桜隊」隊長の丸山定夫は愛媛県松山市出身で、当時、広島にいた桜隊の9人全員が被爆から1カ月以内に命を落とした。
26年4月、桜隊を追悼し、その悲劇を語り継ぐ活動をしている団体、移動演劇桜隊平和祈念会の会合が行われた。

「命ってすごく大切なんだと言っていて」
集まったのは桜隊メンバーの親族や演劇関係者など23人。
その中に愛媛出身の俳優の姿があった。
宇和島市出身の俳優・清家朋代さん:
「もともと役者の道に入ったのは、祖父が戦争に行って帰ってきた人で、亡くなるまでずっと、戦争を二度と起こしてはいけない、命ってすごく大切なんだと言っていて、それを小さいときから聞いていたので」
清家朋代さんは、戦争を語り継ぐ活動に関わりたいとずっと考えていた中、この平和祈念会と出会った。

刻まれた「桜隊」の記憶
広島に原爆が投下された8月6日に合わせ、五百羅漢寺で開かれてる追悼会。
去年、清家さんはここで桜隊の最期を伝える朗読劇に初めて参加した。
清家さんが演じたのは、広島から東京まで逃げ延びたあと亡くなった俳優、仲みどりだ。
清家朋代さんのセリフ:
「36歳の私は九死に一生を得たと思っていました。まだ生きていけると思っていました。芝居が出来ると思っていました」
追悼会には、映画で桜隊の俳優を演じた縁で、常盤貴子さんも参加している。
去年の会で、常盤さんが問いかけた。
俳優・常盤貴子さん:
「きょう初めて参加された方々が多かったと思うんですけど、意見とかお伺いしたい」

「絶対繰り返しちゃいけない」
清家朋代さん:
「こんなことが本当に起きたんだなというのを思ったときに、絶対起こしちゃいけない、繰り返しちゃいけないって強く思いました」
俳優・常盤貴子さん:
「今の言葉がまた私たちの力になりますね。仲間を得るっていうことは、すごく力になって、きょうもこれだけたくさんの方々が来られているということが、私にとっては、これだけの人たちが平和について考えてくださっている、じゃあ私もこのまま考え続けようっていう力になるんですね」
参加するメンバーにとって、お互いの存在が活動を続ける力の源になっている。

参加者全員で慰霊碑の清掃を行った
清家朋代さん:
「(去年の)8月6日は私にとって転機になったと思っています」
この日は参加者全員で、慰霊碑の清掃を行った。
清家朋代さん:
「私の祖父も96歳で亡くなってしまって、本当に戦争をリアルに経験した方が語り継いでいくっていうことが、ほとんどもうできなくなっている時代に入っていて、『私たちがつないでいかなきゃいけない』という時代になっていると思うので、『先人たちの思い、戦争を経験した方の思いをリアルに正確に伝えていくのが、私たちの使命』だと思っています」

会合にもう一人愛媛県人が参加
もう一人愛媛出身の人が参加していた。
西条市出身のトイピアニスト、畑奉枝さんだ。
畑さんはトイピアノというおもちゃのピアノを使った演奏会を行っている。
平和祈念会のメンバーの一人と20年以上の付き合いで、会は今年8月の追悼会で桜隊の隊長・丸山定夫と同じ、愛媛出身の畑さんにトイピアノの演奏を依頼した。
畑奉枝さん:
「今回こんなに若い方、一回りとかじゃなくて二回り、三回りぐらい若い方々が、こんなにたくさんいらっしゃるんだと思って」
これまでにも「8月の追悼会」に参加したことがある畑さん。
若いメンバーが増えたと感じている。

あの厳しい時代に演劇に向かっていた方が、愛媛にいた
畑奉枝さん:
「本当に命を賭けて、あの厳しい時代に演劇に向かっていた方が、愛媛にいたっていうことが感慨深くもあり誇りにも思ったり、最後には希望にもつなげていきたいと思う。原爆の日のことを書いたエッセーの語りと、トイピアノのコラボシーンも組み入れようと思っています」
“「平和を願う気持ち」を次の若い世代にしっかりバトンタッチする”
思いは受け継がれていく。

