福島県南相馬市小高区は2026年夏、その大部分の避難指示解除から10年を迎える。この日々を文字通り“駆け抜けて”きた「走る魚屋」の今を追った。

■地元の魚屋から走る魚屋へ
南相馬市小高区の谷地茂一さんは、地元の魚はもちろん、客から注文があれば少しだけでも仕入れる「小高の魚屋」だ。
その歩みは、街の復興とともにあった。
10年前、谷地さんがトラックを走らせていたのは、小高から少しだけ離れた場所にある仮設住宅。小高から避難している人など、たくさんの常連さんに朝から夕方まで走り回って魚を届けていた。

■小高に戻る
小高で3代にわたって続いてきた「谷地魚店」。東京電力・福島第一原発から約16キロにある店は、立ち入り規制の対象となり、谷地さんも店を離れて仮設住宅での暮らしが長く続いた。
そのなかでも、街の復興を信じて、店の再開を目指して。移動販売を続けながら、ちょっとずつ準備を進めてきた。
そして小高の大部分で避難指示が解除された2016年7月、これに合わせるように店も再スタートを切った。
「小高で生まれて育った人間として、小高に帰ってきて小高で死にたい。刺身を切りながら包丁ボタッと落としてコタっと死ねればそれでいいかな」

■店舗が新たな拠点
あれから10年。相棒の移動販売車は、止まったままだった。
「移動販売は、気が向いたとき。年に3回くらい。夏の暑さと冬の寒さがきくから、体に。あと2年で俺も80ですから」
小高の解除から10年、谷地さんも10歳年を取った。いまは移動販売ではなく、あのとき新しく構えた店の中が主な拠点となっている。
週休2日、5日で100人くらいの客が来るという。隣の相馬市から訪れた、移動販売のお得意様だったという客は「やっぱり谷地さんは信用ある。新鮮だし。でも南相馬の方に移っちゃったからなかなかね」と話す。谷地さんは「こういうふうに、わざわざ来てくれる」と笑顔を見せる。
いま、小高区の人口は震災前の半数以下。みんながみんな小高に戻ってきたわけではないそれでも「友達がここの鮭おいしいというので来ました」と口コミで訪れる客もいる。

■定年80歳?
震災直後に自粛された福島県の沿岸漁業も、小規模な水揚げと販売を行う「試験操業」が5年ほど前に終了。本格操業に向け市場に並ぶ福島の魚も増えてきた。
「獲ってはいけない時期が過ぎて出荷もできるようになったら、本当にここの魚はうまい。こんなこと言うと全国の漁師の皆さんに失礼かもしれないですけど、常磐ものってのはうまいです」と地魚には自信をもつ谷地さん。
『定年80歳』と決めて、店に立っているというが葛藤もあるようだ。
「震災の前からずっと今でも来てくれる人に、俺は店を辞めて『ごめんな』ってどっち良いかな…と思ってそこが今の悩み」

福島の魚があれば、いつだってそこが人々の集まる場所になる。街の復興とともに、がむしゃらに駆け抜けてきた谷地さんは今、小高で「いらっしゃいませ」と「おかえり」を積み重ねている。

福島テレビ
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