2月下旬以降、中東の安全保障環境は劇的に悪化している。

2月28日、イスラエル国防軍が米国の支援を背景に、イラン国内の核関連施設やミサイル拠点に対して未曾有の規模の空爆を敢行したことを受け、イランはホルムズ海峡の事実上の封鎖という強硬な対抗措置に打って出た。

攻撃を受けたイランの首都・テヘランでは黒煙が上がった 2月28日
攻撃を受けたイランの首都・テヘランでは黒煙が上がった 2月28日
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攻撃の矛先はイスラエルのみならず、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)のエネルギー施設にも向けられ、無人機と巡航ミサイルによる飽和攻撃が連日展開されている。

危機管理マニュアルが通用しない

この動乱により、国際的なエネルギー供給網が致命的な打撃を被る中、日本企業は極めて冷静かつ客観的な視点から、この地政学的な激変を再定義しなければならない。

殺害されたイランの最高指導者ハメネイ師
殺害されたイランの最高指導者ハメネイ師

これまでの中東リスクは、主に特定の紛争地域や、限定的なテロの脅威として認識される傾向が強かった。しかし、現在進行している事態は、国家間の全面的な軍事衝突というフェーズに突入しており、その影響範囲は一国の国境を越え、グローバルなサプライチェーン全体を揺るがしている。

資料 ホルムズ海峡
資料 ホルムズ海峡

日本にとっての死活的な生命線であるホルムズ海峡が事実上封鎖されていることは、もはや従来の危機管理マニュアルが通用しない段階に到達したことを示唆している。

日本企業が直面するリスク

現在、国際社会は米国のトランプ政権による関与の在り方に注目しているが、日本企業は慎重な分析が必要である。

今後、トランプ政権が行き当たりばったり的な対応により中東への関与を薄め、表面的に軍事的緊張の度合いが収まっていく兆しが見えたとしても、日本企業はそれを短絡的に事態の改善と捉えてはならない。

TACO「Trump Always Chickens Out――トランプはいつも最後には怖気付いて腰が引ける」との言葉も
TACO「Trump Always Chickens Out――トランプはいつも最後には怖気付いて腰が引ける」との言葉も

米国の外交政策が内向きになり、イランへの関与を薄めれいくことになれば、一見すると大規模な衝突の回避につながるように思える。

しかし、それは裏を返せば、地域大国間のブレーキなき対立を助長し、予測不能な火種を放置することと同義である。米国が関与を縮小させた真空地帯において、力による現状変更を試みる勢力が台頭する可能性を、日本企業は経営リスクとして見積もるべきである。

イスラエルが目指すイランの無力化

さらに、この中東をめぐる軍事的緊張の真の力学を理解するためには、視点をホワイトハウスからエルサレムへと移さなければならない。

イスラエル・ネタニヤフ首相
イスラエル・ネタニヤフ首相

これまでの緊張の主導的な役割を果たしているのは米国のトランプ政権ではなく、イスラエルのネタニヤフ政権である。ネタニヤフ政権は、イラン現政権をイスラエルの存立と安全保障を根本から脅かす実存的脅威と位置付けている。

彼らの戦略目標は、単なる挑発の抑止に留まらず、イラン現政権の崩壊をも視野に入れた徹底的な無力化にある。

イスラエル注視を

イスラエルは自国の安全保障のためであれば、国際世論の反対を押し切ってでも先制的な軍事行動を辞さないという姿勢を明確にしており、この方針は今後も揺らぐことはないだろう。

資料 イスラエル空軍
資料 イスラエル空軍

したがって、日本企業としては、イラン側の対抗措置や動向以上に、ネタニヤフ政権がいつ、どのような論理で次の行動に出るかを、これまで以上に注視していく必要がある。

イスラエルの安全保障上の論理が、そのまま日本企業のビジネス環境を根底から覆す変数となっているのである。

中東の“安全地帯”の消滅

また、今回の事態が日本企業に突きつけた最も深刻な教訓は、中東地域における安全地帯の概念がなくなったことである。

イランの攻撃を受けたカタールのLNG関連施設
イランの攻撃を受けたカタールのLNG関連施設

これまで、アラブ首長国連邦(UAE)やカタールなどの湾岸諸国は、中東特有の政情不安や紛争からは一定の距離を置いた、安全で安定したハブであるというイメージが強く定着していた。

多くの日本企業がこれらの国々に拠点を置き、社員を派遣してきたのは、この湾岸諸国の特異な安全性という認識に基づいていた。

イランによるドローン攻撃
イランによるドローン攻撃

しかし、イランによるドローンや巡航ミサイルがサウジアラビアやUAEのエネルギー施設を正確に射抜いた現実は、この認識を根本から改める必要性を強く提示した。

もはや中東における軍事的緊張は、紛争当事国の国境内のみに収まるものではない。イランとイスラエルの対立が激化すれば、その報復の連鎖は、地理的に近い湾岸諸国のインフラや都市部にも不可避的に波及する。

ドローン攻撃を受けたUAEの港湾施設
ドローン攻撃を受けたUAEの港湾施設

UAEやカタールが誇る近代的な都市機能や物流網は、精密誘導兵器の前では極めて脆弱な標的となり得る。日本企業は、これらの国々に滞在する社員の安全確保、および事業継続計画(BCP)において、これまでの安全なイメージを一度白紙に戻すべきである。

中東は“不測の事態が常態化する地域”

軍事的な紛争リスクは、もはや対岸の火事ではなく、拠点を置く足元のリスクとして認識し直さなければならない。

今後の展開として、たとえ一時的な停戦や緊張緩和が見られたとしても、それはあくまで戦術的な休息に過ぎない。イスラエルとイランの構造的な対立が解消されない限り、不意打ちのような軍事行動が再発するリスクは常に存在する。

日本企業は、従来のような「何かが起きてから対応する」という事後的な危機管理ではなく、中東全体を「不測の事態が常態化する地域」と定義した上での、恒常的な安全対策の強化が求められる。

具体的には、情報の収集先を従来の欧米メディアや公的機関の発表のみに頼るのではなく、現地の政治力学や軍事動向に精通した独自のネットワークを構築する必要がある。

日本企業はシェルターや脱出経路の多角化を

特に、ネタニヤフ政権の国内政治情勢が外交・軍事行動にどのように反映されるかという分析は、社員の退避判断や投資の維持・撤退を決定する上での最重要指標となるだろう。また、湾岸諸国における社員の安全を確保するためには、物理的なシェルターの確保や緊急脱出経路の多角化など、より実戦的な安全対策の導入が不可避となる。

総じて、日本企業は中東における「平和の配当」が失われた現状を直視し、地政学的なリスクを経営の根幹に据えるべき時期に来ている。

トランプ政権の流動的な関与、ネタニヤフ政権の強硬な意思、そして湾岸諸国の脆弱性という三つの要素を統合的に捉え、自社の資産と社員を守るための強靭な体制を再構築することが、今、何よりも優先されるべき課題である。

【執筆:株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO 和田大樹】

和田大樹
和田大樹

CEO, Strategic Intelligence Inc. / 代表取締役社長
専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障、地政学リスクなど。海外研究機関や国内の大学で特任教授や非常勤講師を兼務。また、国内外の企業に対して地政学リスク分野で情報提供を行うインテリジェンス会社の代表を務める。