東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から15年が経過した。被災地から遠く離れた場所では「3・11」の記憶が徐々に薄らぎ過去の出来事になりつつある感も否めない。

3月25日、FNN原発会議のメンバーとして高知さんさんテレビの記者が現地に入った。
(高知さんさんテレビ報道部・竹久祐樹)

鮮やかな緑を取り戻した「Jヴィレッジ」の記憶

この日朝、宿泊していた「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)には雲の隙間から太陽の光が差し込んでいた。

ホームページによると施設は1997年サッカーのトレーニングセンターとしてオープン。多くのトップアスリートが訪れていたが、3・11で営業休止に。その後新たな役割を担うことになる。

震災後、新たな役割を担う「Jヴィレッジ」
震災後、新たな役割を担う「Jヴィレッジ」
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朝食会場へ向かう途中、震災からの軌跡をたどるパネルが目に入ってきた。部屋には多くの物資が積み上げられ「自衛隊の作戦統制所」と書かれた案内板も。

作業員の車が並ぶ場所は駐車場ではない。震災前に広がっていたのは緑のピッチ。原発事故後、一面に砕石が敷かれモノクロと化したという。

この施設がサッカーのトレーニングセンターとしてオープンしたことを伝える緑のピッチ
この施設がサッカーのトレーニングセンターとしてオープンしたことを伝える緑のピッチ

朝食を終え施設の周りを歩いてみた。何もなかったように緑鮮やかな芝がよみがえっている。震災の跡形なく整然とたたずむピッチを前に福島テレビの幹部が前の日に話していた「あの光景は忘れられない」という言葉が妙に胸に突き刺さった。

時が止まったままの「帰還困難区域」

Jヴィレッジから貸し切りバスに乗り込んだ。走っている道路は震災直後は通れず現地の記者も取材できなかった地だという。

現地で取材を続ける福島テレビの記者たちと筆者(右端)=東京電力廃炉資料館前で撮影=
現地で取材を続ける福島テレビの記者たちと筆者(右端)=東京電力廃炉資料館前で撮影=

出発して1時間余り。れんが造りの建物が目に飛び込んできた。「東京電力廃炉資料館」。東京電力が原発事故の記憶を伝えるために整備した施設だという。福島第一原発まではここから10キロほど。東京電力が用意したバスに乗り換え原発へ向かう。

帰還困難区域に近づくと風景が一変した。弁当屋は廃墟と化し電柱は傾いている。門柱と表札だけが残された土地…。大きな道路につながる脇道にはバリケードが張られ、所々警備員も配置されている。

ここに生えた草はいつから伸び続けているのだろう。高く伸びた草の中に建物や車が身を隠すように息をひそめている。ここには人が確かに住まい、なりわいがあった。

線量計の数値が跳ね上がる

40分ほどで福島第一原発に到着した。

事故が起きる前、福島第一原発は緑が豊かだったらしい。汚染水の浸透を防ぐためほとんどの木を伐採したという。

福島第一原発で説明を聞くFNNの記者たち【写真提供:東京電力HD(株)】
福島第一原発で説明を聞くFNNの記者たち【写真提供:東京電力HD(株)】

敷地に入ると青色と灰色の巨大なタンク。現地では海洋放水が始まり、不要となったタンクの解体作業も進んできている。

運転席の後ろには見慣れない電光掲示板が。事故後、たびたび耳にした「線量計」だという。そういえば高速道路にも線量計があったのを思い出した。

原発の建屋が近づくと「1.1」「2.1」「5.3」「14.1」と、表示される数字が不気味なくらいどんどん上がっていく。線量の高いエリアでは少しずつの作業を交代で行っているという。

1時間の滞在で歯科でのレントゲン撮影4回分くらいの線量になるという【写真提供:東京電力HD(株)】
1時間の滞在で歯科でのレントゲン撮影4回分くらいの線量になるという【写真提供:東京電力HD(株)】

1号機が見える位置でいったんバスを降りた。水素爆発で建屋の上部がむき出しとなっていた姿を何度もニュースで目にしてきたが、上部を覆う大型カバーが設置されていた。放射性物質の飛散や建屋内への雨水の流入を防ぐ目的だという。

外に設置された線量計に目をやると「36.8マイクロシーベルト」とある。現地の人によると1時間滞在していれば歯科でのレントゲン撮影4回分くらいの線量というが、実態がよく分からない上、目に見えない分恐ろしい。

すぐ下には黄色のヘルメットと白い防護服を着て歩く人の姿もあった。バスで移動中、線量計の数字がずっと気になって仕方ない。普段とは違う感覚だ。

廃棄物が一時的に置かれている場所に近づくと一気に数字が上昇していく。東京電力の説明では敷地内には焼却炉もありマスクや防護服などはここで焼却しているという。

生まれつつある「なりわい」と、長期化する廃炉の現実

同行してくれた福島テレビの記者によると福島県内の避難指示区域等は最大で12%だったが現在は2%にまで減少。これまで取材すらできなかった場所でなりわいも生まれてきている。

住民の帰還を促すための公設民営の商業施設「さくらモールとみおか」
住民の帰還を促すための公設民営の商業施設「さくらモールとみおか」

福島第二原発のある楢葉町の隣、富岡町にはかつて約1万6千人が住んでいたが原発事故後2800人にまで減少したという。町の中心部には住民の帰還を促すための公設民営の商業施設「さくらモールとみおか」があり、オープン前から地元の人が集まってきていた。

政府は福島第一原発の廃炉作業完了を2051年までと設定しているが、この1年でも建屋への大型カバー設置や燃料デブリの試験的な取り出し時期などで遅れが指摘されている。

福島テレビの記者たちは原発事故後の動きがよりマニアックに細かくなるにつれ、どう視聴者へ伝えていくか葛藤しているという。

高知の記者として…南海トラフ地震と向き合う

高知県に目を落とせば、南海トラフ地震で最大クラスの地震が発生した場合、県内での死者数は2万3000人と想定されている。ただ、これは地震発生後すぐに避難する人の割合が7割を超えた場合の数字という。

県民の防災意識を高め、命を守るための情報を提供することは報道機関の一丁目一番地でもある。

今は「東日本大震災と原発事故から15年-」とは言えない。復旧に向けた道のりはまだ始まったばかり。現地を訪ねると「過去の出来事」として振り返る段階にはないと。

被災地の最前線で取材を続ける記者たちの姿と言葉を胸に、南海トラフ地震と向き合いたい。

(高知さんさんテレビ報道部・竹久祐樹)

高知さんさんテレビ
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