京都府福知山市にある小さな動物園の2代目園長、二本松俊邦さん。
3月末をもってその役目を終える。
約30年間、妻とスタッフとともに動物たちを育み、“触れ合える動物園”を貫いてきた。
1978年開園、父の跡を継いで守り続けた“独自色”
福知山市動物園は1978年に開園した。
二本松さんは父の跡を継ぎ2代目園長に就任。
以来およそ30年間、この園を支えてきた。
一貫して大切にしてきたのは、「触れ合える動物園」であるということだ。
直接触れることが難しい動物の前には、手作りのエサやり機を設置し、来園者が自分で工夫しながら動物にエサをあげられる仕掛けを用意してきた。
動物だけでなく、園長との距離の近さもこの園ならではの魅力として知られてきた。

“名物園長”引退へ「嬉しい半分、寂しい半分」
動物の命を預かるということは、常に緊張と隣り合わせだった。
園長・二本松俊邦さん:うれしい半分、寂しい半分ですね。寂しいよりもほっとして、これで楽になる。これから自由に家内と遊びに行ったり、いろんなところへゆっくり行けるな。何も気にせず行けるな。
息子さんが大学の卒業式で答辞を読むというので会場に足を運んだその日、園ではペリカンが死んだ。
園長・二本松俊邦さん:出たときに限って何かがあるので、やっぱり嫌なんですね。離れているということが。

園を一躍有名にした“2頭の相棒” みわとウリ坊
この小さな動物園を全国的に知らしめたのが、ニホンザルの「みわ」とうり坊の「ウリ坊」だった。
みわは、死んでしまった母ザルの横で鳴いていたところを保護され、園にやってきた。
スタッフから離れなくなったため、試しにウリ坊のおりに入れてみたところ、2頭はすっかり意気投合。
並んで散歩する可愛らしい姿を見せるようになった。
その様子がテレビや新聞で取り上げられると、「一目見たい」と訪れる人が急増。
1日で4000人以上が訪れたこともあったという。

“みわとウリ坊”の現在の姿は…
あれから16年。2頭は今もこの園で生きている。
ウリ坊は現在16歳。小さなうり坊は、すっかり立派なイノシシに成長していた。
園長・二本松俊邦さん:むちゃくちゃ大きくなってしまった。大人しいのはご飯があるときだけ。なくなったらぶつかってきて、エサをくれってどんどんぶつかるんです。
実はウリ坊、長らく正式な名前がなかった。
園長・二本松俊邦さん:こんなに有名になると思ってなかったから、名前をつけていなかったんです。
お客さんが途中からうり坊の名前がないと言い出し、仕方ないから、カタカナで“ウリ”と書いて漢字で“坊”と書いて『ウリ坊』。
相棒のみわも、まだまだ元気だ。

今だから話せる”亀吉脱走事件” 5日間の脱走劇
30年の歩みの中には、動物を何より大切にする園長を慌てさせた事件もあった。
園内を自由に歩かせていたリクガメの亀吉が行方不明になったのだ。
園長・二本松俊邦さん:人気ナンバー3に入りますから。本当に困っているんです。
この一大事に関西テレビも捜索の様子を取材。
なんと、裏山で動けなくなっている亀吉を発見することができた。
園長・二本松俊邦さん:えー、びっくりした。何しとんこんなところでお前、寒かったやろ。
5日間の脱走劇の末、亀吉は無事に園へ帰還。
しかしそれにしても、ちょうど取材が来ているタイミングで見つかるとは。
園長・二本松俊邦さん:できすぎだったんです。テレビもいるし、新聞社もいるし、今日で最後だと言ってやったばかりに、みんな大笑いで、帰ってくるんだと言って。

「長いこと付き合ってくれてありがとう」動物たちへの言葉
高齢であることなどを理由に、二本松さんは今月末での引退を決意した。
園の運営は、新たな事業者に引き継がれることになった。
園長・二本松俊邦さん:長いこと付き合ってくれて“ありがとう”ですね。頑張って生きてよ。
最後の2、3日はじっくり見て、こんなことあったな、あんなことあったなと思い出して去ろうとは思っています。
最後までバタバタ働くのは嫌。
引退まで残り1週間。
二本松さんは最後の日まで動物たちのために走り回っているはずだ。
(関西テレビ「newsランナー」2026年3月24日放送)

