この言葉を目にしたことがあるだろうか。
「C、O、D、A」
「Children Of Deaf Adults」
頭文字をとって、「コーダ」と読む。
両親のどちらか一方、または2人とも耳が聞こえない親を持つ健常者の子どもの呼び名だ。
自分を含めた周囲の多くが聞こえて話せる社会で小さいころから「橋渡し役」を務めてきた子どもたちは、私たちの知らない苦悩を抱えていた。
札幌の専門学校で行われている授業の様子。
この授業中、教室にはほとんど音がなく、生徒たちがノートをとるわずかな音が続く。
手話の授業だ。
「これで最後です。よろしくお願いします」(伊藤喜幸さん)
教壇に立っているのは伊藤喜幸さん(58)。
北海道ろうあ連盟の職員だ。
若い世代への手話の普及促進の一環で、授業を担当している。

手話通訳士の資格を持つ伊藤さんは、鈴木知事の定例会見でも通訳を務めている。
耳が聞こえない聴覚に障害があるろう者と社会をつなぐ「橋渡し役」を担っている。
耳も聞こえて、話すこともできる、いわゆる「健常者」の伊藤さんが、手話を学んだ理由は…
やむを得ない事情からだった。

伊藤さんは毎日、電車で1時間30分かけて通勤している。
この日、仕事を終えて自宅に帰ったのは、午後7時30分過ぎ。
「ただいまー」(伊藤さん)
自宅で出迎えてくれたのは母親の利恵子さん(80)
利恵子さんは耳の聞こえないろう者だ。
父親も耳が聞こえない。

伊藤さんはろう者の両親の子ども、「CODA」だ。
日常には、常に手話があった。
「タブレットで話したのよ」(利恵子さん)
「あなた話が長いんだから」(伊藤さん)
子どものころから手話が身近な環境だったが、ろう者である親を通して、社会の無理解を実感してきた。

小学校低学年のころ、役場から届いた文書を利恵子さんが理解できず、職員に説明を求めると。
「『ぼく、ぼく、ぼく、お母さんは聞こえないだけじゃなくて、知的な障害が起きてるの?』って言われたことあったんですよ。で、もうその時すごいショックで、『え?』って。なんか、差別とか偏見っていうのはすごく感じて」(伊藤さん)
子どもながらに、ショックな出来事だった。
日本手話を使うろう者が、文字の読み書きを困難に感じることがあることが、十分に理解されていなかったのだ。
一般の子どもは感じることのない理解不足や偏見にさらされながら、小さいころから、いや応なしに手話と関わってきた伊藤さん。

その感情が限界に達した出来事があった。
利恵子さんが普段はファックスでやり取りをしている相手に電話をかけてほしいと頼まれた。
「ファックスしたらいいって言ったら『いやいや、あんたに頼んだ方が』と。こういう手話を使ってますね(意味は)楽とかって、楽って言われたんで、『楽のために俺は手話通訳してるわけじゃないし』っていうことで、こう、うっぷん溜まってたのがバンって爆発して」(伊藤さん)
「楽をしたいから」
この一言で我慢しながら続けてきた気持ちが切れてしまったのだ。
手話や、ろうの世界から一旦、離れることになった。

このあと20年に渡って、手話や、ろうとの関わりを避けてきた伊藤さんだが、実家に訪れるろう者との交流がきっかけで、考えが変わり始めた。
「私は親のために手話通訳をやってるわけじゃなくて、私を小さい時から可愛がってくれた、亡くなった聞こえない人たちとか、今いる聞こえない人たちのおかげで、その人たちのために手話通訳をやろうって思ってる。親孝行のために手話通訳やろうと思ってたら、多分やらない」(伊藤さん)
『橋渡し役』に復帰した伊藤さんは、北海道ろうあ連盟に所属し、以前にも増して、ろう者との関わりを深めてきた。
自分たちには何ができるのか、日々、仲間たちと意見を出し合っている。

以前は必要最低限だった母親との会話も、自然に交わされる。
そんな伊藤さん親子の姿が周囲にも良い影響を与え始めているようだ。
伊藤さんのめい、麻菜美さんと怜奈さんも、ろう者との関わりを深めている。

駅で電車のトラブルに遭った時、立ち尽くす2人に声をかけたと言う。
「『あれ、ろうじゃないか』『どう?どう?』『どうする?』と。様子を見て、やっぱり気づいてないから声をかけて、電車止まったから、どこまで行くんですかと聞いて。一緒に連れていって様子をみて』(麻菜美さん)
「ずっと前に座って、ニコニコして」(怜奈さん)
「(電車)来ないのに」(麻菜美さん)
麻菜美さんは2024年、手話通訳者試験に合格し、怜奈さんも12月の試験に向けて勉強中だ。
2人も伊藤さんのようにろう者をサポートしたいと話している。

苦悩しながらろう者との関りを再開した伊藤さん。
共に生きていく社会を実現するために必要なのは、関わりを持ち続けることだと言う。
「母親とか父親の場合は手話が(第一)言語なので、手話言語というものを、聞こえる人たちみんなに知ってもらうことが、1番聞こえない人の生活を理解できることなのかなと思いますね。聞こえない人たちの文化を知るということが、1番近道なのかなと思います」(伊藤さん)
「見えない壁」を越えて共に生きていくための第一歩は、交流の手段を知ること。
伊藤さんはその実現に向けて、きょうも活動を続けている。
