高校を卒業した18歳の青年が角界入りした。「発達障害」という困難を乗り越え、あこがれの大相撲の世界へ。その旅立ちの春を追った。
やっと大相撲に挑戦できる
長崎県平戸市にある県立北松農業高等学校の卒業式。
54人の卒業生の中に、ひと際大きい体格の生徒がいた。中里昌暉さん、18歳だ。卒業後は横綱 豊昇龍が所属する大相撲・立浪部屋に入門する。
「泣かないつもりだったが泣いてしまった。やっと卒業できた。やっと大相撲に挑戦できる」。大きな体にこぼれる涙。並々ならぬ思いで大相撲の門をたたいた。
学校史上初の力士誕生
北松農業高校の相撲部は創部79年。県高総体の団体では優勝経験もある伝統校だ。
中里さんは歴代の選手の中でも特に体格に恵まれ、身長184cm、体重144kg。角界入りを果たした生徒は学校史上初めてのことだ。
中里さんに得意技を聞くと、「まだ練習中だけど、つっぱり。特に技という技はない。突っ張って押し出す」と謙虚だが、後輩の薄本翔平さんは、「身長の高さと体重が乗ったときのつっぱりの重さはすごい」と、中里さんの迫力を語る。
「裸の男がぶつかり合う所がかっこいい」
中里さんは長崎県佐世保市の出身だ。
幼い頃、テレビで相撲を見て夢中になった。しかし、近所で相撲を習えるところはなく、中学卒業までは柔道に打ち込んだ。
高校に進学し、念願の相撲部に入部。「裸の男がぶつかり合う所が魅力でかっこいい」と、ぐんぐん力をつけていった。入学時に比べて体重は25㎏増えた。
平野照二監督は、早い段階から才能を見抜いていた。「相撲に対して真面目。素直なのであいさつや礼儀ができていたし、大相撲に入ってコツコツ努力すれば上に行けると思った」と語る。
監督の勧めもあり、中里さんは高校2年生になると、大相撲を目指す決心を固めた。
手紙を読んで会いに来てくれた親方
進路を決める3年生の夏。
相撲の大会で目立った実績はなかったが、あこがれの立浪部屋に入門したいと、国語の先生や監督に相談しながら2~3週間かけて入門を志願する手紙を書いた。
その熱意は伝わり、親方自らが学校へ面会に訪れ、正式に内定が伝えられた。新弟子検査にも無事合格。晴れて角界への道が開かれた。
「“手紙を見てこの学校に来たよ”と親方に言っていただいて、どういう相撲が好きなの、好きな食べ物はとか雑談をした。元力士・旭豊関に会えるだけでオーラがすごいと思った」と、面会の日のことを興奮気味に語る。
相撲歴はまだ3年。発展途上な部分もあるが、それでも力士になる夢を叶えられたのは平野監督のおかげだ。恩師への感謝の思いを込め、監督の名前「照二」から漢字を一字取り、しこ名は「照豊(てるゆたか)」にした。
「発達障害でも頑張れると示したい」
中里さんは、5歳のときに発達障害と診断され、中学校までは特別支援学級で過ごした。
てんかんの持病もあり、障害や症状をからかわれ、いじめを受けたこともあった。立浪親方には障害や病気のことを打ち明けて入門。困難を乗り越えてきたからこそ、中里さんは大相撲での活躍を誓っている。
「ADHDいわゆる発達障害を持っているが、発達障害でも頑張れるんだよと勇気づけられるような力士を目指したい。親孝行をしながら周りに勇気づけられるような力士になりたい」と中里さんは語っている。
感謝を伝える「ちゃんこ鍋」
監督と共に、いつも一番近くで中里さんを支えてきたのが両親だ。
中里さんは両親に感謝の気持ちを伝えるため、高校に入ってから自宅でちゃんこ鍋を作るようになった。歯ごたえが残るよう野菜を大きめにカットするのが中里さん流で、「塩バター味」は自慢の特製レシピだ。
この日は相撲部の仲間に、自慢の塩バターちゃんこ鍋をふるまった。
中里さんは立浪部屋でも、強くなるだけでなく、「毎日の食事作りを取り仕切る“ちゃんこ長”にもなりたい」と話している。
卒業、そして夢の舞台へ
卒業式の日。中里さんは3年間の思いが詰まった稽古場へ足を運んだ。
平野監督から、「大相撲は結果がすべて。すぐ帰ってこないでしっかりと10年、20年力士として頑張ってください」と力強い言葉が贈られた。
「思い出の場所ですね。宝物。後悔はない」と話した中里さん。「まずは幕下を狙って関取になってファンの方にも自分が頑張っている姿を少しでも見せられたらと思う」と語り、卒業式の翌日に上京した。
3月8日に開幕した大相撲3月場所でデビュー。序ノ口19枚目の番付で、初白星をあげた。長く険しい力士の道の入り口に立ったばかりの中里さん。素直で真面目な性格と相撲への確かな情熱。幼いころに夢見た場所で、横綱という頂点を目指す。
(テレビ長崎)
