東日本大震災から15年が経過した。宮城県気仙沼市で60年以上暮らす宮崎県川南町出身の女性は、最大20メートルを超える大津波と、夜空を赤く染めた火災を経験。「とにかく命を持って逃げてほしい」。故郷・宮崎県が南海トラフ巨大地震で最大17メートルの津波に襲われると想定される中、何よりも命を優先した避難の重要性を訴えている。
突然の揺れ「みんな逃げろ」
宮城県の最北端に位置し、岩手県と接する気仙沼市。

リアス式の海岸線が波の穏やかな内湾を生み出し、街は緑豊かな山々に囲まれている。

気仙沼市の港近くで菓子店を営む千葉信子さん(85歳)。宮崎県川南町出身の千葉さんは23歳で老舗菓子店「紅梅」の2代目店主のもとに嫁ぎ、60年以上店を切り盛りしてきた。
15年前も、千葉さんはいつものように店で従業員とお菓子を作っていた。
そして 2011年3月11日 午後2時46分 大地震発生

千葉さんは当時の状況を「工場には機械が多数あるため、それにすがっているので精一杯だった。その途中の揺れで『これは大きい』という誰かの声が聞こえ、『じゃあもうみんな逃げろ』ということで、仕事はそのまま置いて従業員全員を自宅に帰し、店のシャッターを閉めて逃げた」と振り返る。
長く、大きな揺れの後、最大で20メートルを超える大津波が気仙沼市を襲った。
総務省の発表によると、2024年3月時点で気仙沼市の死者数は災害関連死を含め1220人、そして、未だ214人が行方不明だ。
「地獄を見た」津波と炎
気仙沼市内には、震災当時津波が到達したことを示す看板が設置されている。

看板によると、津波は記者の身長の約3倍以上の高さに達し、一帯を襲ったことがわかる。
千葉さんの店は港から約100メートルの場所にあり、地震の揺れが収まったあと、すぐに車で高台にある娘の自宅に避難し、津波から逃れることができた。

数日後、道のがれきが撤去され始め、店の様子を見に戻ると、4階建ての自宅兼店舗の中は壊滅状態だったという。
千葉さんは「津波で店内が全て流された。工場の備品がどこに流れたのだろう、どこから出たのだろうという感じだった」と話す。

店舗の上階部分が残ったことで助かった人もいた。
千葉信子さん:
店舗の近くを津波が流れ、この場所につかまって助かったと後から聞いた。よかったなと思う。
津波を高台から見ていたという人は、「バリバリバリと本当にこの世のものとは思えないぐらいものすごい破壊音。船が陸に上がってくるのが見えた。」と話していた。
さらに、気仙沼を襲ったのは津波だけではない。総務省の発表によると、気仙沼市では林野火災など13件の火災が発生した。千葉さんが15年経った今も絶対に忘れられないと話す光景が、炎で真っ赤になった夜空だった。
千葉信子さん:
空が本当に真っ赤。夕焼けとかそんなもんじゃない。ただ恐ろしい。
ふるさと宮崎への切実な訴え
南海トラフ巨大地震が発生した場合、宮崎県では最短14分、最大17メートルの大津波がくると想定されている。千葉さんがふるさと宮崎に伝えたいことは「安全な場所に逃げる」ということだ。

千葉信子さん:
印鑑を取りに戻って流されて亡くなったとか、物を取りに行ったとか、経験したことがあだになって逃げないで亡くなったとか、そういう方もずいぶん近所にいるもんですから、だからとにかくもう後ろを見ないで逃げてほしいっていう、とにかく命を持って逃げてくださいと言いたい。
私たちは実際に地震が発生したとき、冷静に判断できるだろうか?命を守るために普段から安全に逃げる場所を把握しておくことが重要だ。
(テレビ宮崎)
