東日本大震災から15年が経過した。津波で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市では、街並みが大きく変貌し、復興が進む。この地で60年近く菓子店「紅梅」を営む女性も、震災で店舗兼住宅を失いながらも、再建への道を歩んできた一人だ。仮店舗での営業を経て、震災から5年後に元の場所での再開を果たした千葉さんが、この15年間で得た「生きる」ことへの強い思いを語る。

復興進む気仙沼内湾で菓子店再建

宮城県気仙沼市で菓子店を営む宮崎県川南町出身の千葉信子さん(85歳)。

この記事の画像(14枚)

東日本大震災で千葉さんの店は営業不能な状態に陥った。

千葉さんは震災後約1年、現在は店の倉庫として使われている場所に家族と避難して暮らしていた。

千葉信子さん:
やっぱり気仙沼から出ようかなと、一瞬、思った時もある。でもやっぱりお客さんの顔とか今までの代々の苦労とか、なんで私はここに来たんだろうという思いとか、そういうのを考えると、やっぱりここで頑張らなくてはという気持ちになった。

「この気仙沼市で店を続ける」という強い思いを形にし、震災から5カ月後には、被災を免れた高台に仮店舗をオープンさせた。

当初は限られた材料や機械での厳しい営業だったが、千葉さんが前進できた原動力は、「紅梅」を訪れるお客さんの存在であった。

千葉さんは「お客さんの顔が見えてくる。とにかく店をやるという気持ちにさせられた。お客さんは本当にありがたい」と話す。

甚大な被害を乗り越え仮店舗の営業を始めた千葉さんの次の目標は、震災前に営業していた場所で店を再開することだった。現在の社長である息子の洋平さんも、その思いを後押しした。

千葉洋平さん:
いちばん最初に考えたのは、あとあとになって「昔ここにお菓子屋があったよね」というふうには言われたくないなと思って。それだけですね。「昔あった」じゃなくて「今もある」というのは、気持ちの中であった。 

代々受け継がれてきた老舗菓子店「紅梅」。被害を受けた4階建ての住宅兼店舗は取り壊され、一度は更地となったが、震災から5年後、念願であった元の場所での営業がようやく実現した。

千葉さんは、本店を再開店した際のお客さんの「待ってたよ、紅梅さん」という声を聞いた時は、なんとも言えない気持ちになった、過去ことが全て吹き飛び「ああよかった」と思ったと振り返る。

約20年間にわたり「紅梅」で働く高澤加奈子さんは、千葉さんと共に店を支えてきた。

紅梅で約20年働く高澤加奈子さん:
みんな仕事もなくて、働きたくても働けない、家も生活もままならない中で、私はすぐに働くことができて、自分が前から働いていたところで働けるのはほんとにありがたい。

千葉さんは「この人の力を借りないとだめだなという思いはあった」と話す。

千葉さんの言葉を聞いた高澤さんは謙遜しながらも、みんなで頑張ってきたと話した。

最中や揚げパンが人気の「紅梅」には、気仙沼市内外から多くのお客さんが訪れる。

宮城県登米市から訪れた人は「気仙沼に来たときはここ(紅梅)が美味しいと聞いていた」と話した。

変化する街並みと「生きる」思い

復興が進むにつれて街の風景も変化した。

震災直後、がれきで埋め尽くされていた気仙沼市の内湾は、建て直された店舗や復興住宅が建設され、美しい街並みに変貌を遂げた。

千葉信子さん:
昔の良さはみんな無くなってしまった。現代的な街というかなんていうか。これが新たな前進なんですかね。いつまでもとどまってはないですよね。もう15年たつと、震災時の苦しさとか寂しさとか、そういう話題をする方はいなくなってきているのではないかな。やっぱりそれぞれに前を向いて前進しているんだと思う。そうやってこれからも進んでいくのかな。

この15年は千葉さんにとって…
千葉信子さん:
いろんな試練をもらったけれども、でもやっぱり「生きる」っていう。望み。なんて言ったらいいんでしょう、生きていれば何があっても前に向ける、前向きにできるっていう、そういう感じがする。とにかく生きるっていうことですかね。

震災から15年。がれきに覆われた街は新しく生まれ変わり、千葉さんの店には今日も「待ってたよ」と客が訪れます。多くのものを失った千葉さんが最後にたどり着いた、「生きていれば、何があっても前を向ける」という言葉。それは、いつか必ず来る災害に備える私たちにとって、避難の先にある「希望」そのものかもしれません。

(テレビ宮崎)

テレビ宮崎
テレビ宮崎

宮崎の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。