東日本大震災の発生から15年。宮城県内の犠牲者は関連死を含め1万571人に上り、今もなお1215人の行方が分かっていない(2026年2月末時点)
歳月の経過とともに手がかりが風化していく中、宮城県警には、わずかな遺骨の一部から身元を特定し、家族の元へ帰そうと執念の捜査を続ける警察官がいる。「最後の一人まで」という誓いを胸に、地道な活動を続ける現場を追った。
15年経っても薄れることのない家族の思い

3月8日、宮城県亘理町で開かれた地元の物産イベント。賑わいの一角に、宮城県警が設けた「震災行方不明者を捜す相談所」があった。
訪れた70代の女性は、亘理町の沿岸部に住んでいて行方不明となった父と伯母を捜していた。
宮城県警捜査1課 震災関係身元不明・行方不明者捜査班 京野裕也警部:
どこで被災したか分かりますか?
父と伯母を捜す女性:
自宅あたりだと思うんですけど…よく分からないんです。
東日本大震災の発生から15年。思いは今も変わらないと、女性は静かに語った。
父と伯母を捜す女性:
抱きしめてあげたいです。寒かっただろうし冷たかっただろうし。(震災発生から15年が経っても)変わらないです。同じです。ずっと同じです。薄れることないです。
14年ぶりの「おかえり」少女が残した小さな手がかり

2025年10月、岩手県山田町で行方不明となっていた山根捺星さん(当時6歳)の遺骨が、14年ぶりに家族の元へ帰った。2023年、気仙沼市の大谷海岸などで清掃作業をしていた会社が、小さな下あごの骨と歯を発見し、警察に届け出た。
当時、検視を担当した宮城県警の石川勇輔警部は、当時をこう振り返る。
当時、検視を担当した 石川勇輔警部:
年少者の骨が発見されるのはまれなので、実際に骨の状況を見たら、風化具合とかで、「あれ、これはもしかしたら、震災当時行方不明になった方の骨なんじゃないか」と、そこで感じました。

宮城県警には、身元の分からない遺体の捜査を専門に行う捜査班がある。これまでに9543人の身元を特定し、家族へと引き渡してきた。
時の流れとともに手がかりは少なくなり、年々、身元特定のハードルは高くなっている。捺星さんの遺骨の特定も、容易ではなかった。
震災関係身元不明・行方不明者捜査班 京野裕也警部:
ご遺体の損傷が激しかったということもあるかと思うんですけれども、DNAが不検出という結果になりました。
捜査班は諦めなかった。東北大学などの協力を得て、「ミトコンドリアDNA型鑑定」に加え、歯の表面から採取したタンパク質を分析する「プロテオーム解析」などを進め、ついに捺星さんに辿り着いた。
「ただいま」と言える場所へ
捺星さんが帰ってきたことで、山根さん一家の暮らしにも、少しずつ変化が生まれた。
捺星さんの母・千弓さん:
やっと帰ってくる気持ちになって、家に帰ってきたかなと。
捺星さんの遺骨を受け取ったあの日、母・千弓さんは、報道陣に複雑な胸の内を打ち明けていた。
捺星さんの母・千弓さん(2025年10月当時):
14年経ってやっと手元に戻ってきた喜びも半分ですけれど、この形でという寂しさも半分です。
家族の悲しみが消えることはない。
それでも、捺星さんの思い出を家族で語り合う時間は、少しずつ増えているという。

捺星さんの母・千弓さん:
姿は見えないけれど、家のなかがちょっと明るさというか温かみが増えたかなと。ただいまって言ってみたりして。
「途方に暮れた」あの日から続く捜査

捜査班の京野警部は震災当時、刑事1年目だった。体育館に次々と運ばれてくる遺体と向き合い、検視に追われる日々を過ごした。その経験が、京野警部の原点となっている。
震災関係身元不明・行方不明者捜査班 京野裕也警部
やってもやっても追いつかないみたいな…そういった経験はもちろん初めてのことで、正直、途方にくれてしまった。
あれから15年。捜査班は、今もわずかな手がかりを捜し続けている。
震災関係身元不明・行方不明者捜査班 京野裕也警部:
警察としても決して諦めずに、一日も早く家族のもとに返したいと考えながら活動していますので、皆さんも待っていただければ。
15年という時間の流れも、捜査員たちにとっては「通過点」に過ぎない。
最後の一人が「おかえり」と迎えられる場所へ帰るその日まで。
宿されていた命と向き合う執念の捜査は続いている。
