大切な人に思いをはせた3月11日。津波で家族5人を亡くした宮城県気仙沼市の当時9歳の少年は、今、24歳になりました。あの日から15年…家族への思いを伺いました。
2011年10月…震災からおよそ7カ月後に行われた南気仙沼地区の追悼式。
千葉瑛太さん(10)と父親の清英さん(41)。 津波で母親の美奈子さん、妹のくるみちゃんと祐未ちゃん、祖父の宏一さんと祖母の美代子さんの5人を亡くしました。
千葉瑛太さん(当時10歳)
「ママ、仕事をしていたのに、いつもリトルの送り迎えや、学校の行事に参加してくれてありがとう。旅行にもたくさん行ったね。まだまだたくさん行きたかったのに。くるみ、4月から小学校だったね。祐未も幼稚園を目指してあいさつの練習をしていたのに。もっともっと、けんかがしたかったです。でもみんな天国に行っちゃったんだよね。だからいつまでも天国からパパと僕を見守っていてください。最後に僕は千葉家の家族に生まれてきてよかったです。ありがとう。瑛太より」
涙を流した瑛太さん。そっと…頭をなでた父親の清英さん。親子二人だけの生活が始まりました。
仮設住宅で暮らし始めた2人。
「キツネと天ぷら・どっちがいい?」
震災前、ほとんどやったことがなかった、料理や洗濯、家事の全てを清英さんがするように。
外では瑛太さんのため、仕事に奔走しました。
当たり前のようにくる毎日。だからこそ感じたのは、決して拭うことができない喪失感でした。
千葉清英さん
「お母さんたちがみんないるわけだよ。やっぱり私もそうだけど、父親よりも母親だから。
どうしてもかなわない母親には」
震災後、ほとんど感情を表に出さなかったという瑛太さん。
震災の発生から1年後…私たちに胸の内を話してくれていました。
記者「お母さんや妹に会いたいと思うことは?」
瑛太さん「もうない、このごろない」
家族とのお別れを受け入れているようにもみえた瑛太さん。
しかし、清英さんは瑛太さんの本音が分からなくなっていました。
千葉清英さん
「吹っ切れているとは言うが、中身までは分からない。余計につらい思いをさせちゃっているのかなとか、しっかりしすぎているところに、私が甘えちゃっている部分もある。本当は子供だったら子供らしさを前面に出させてあげればいいが、そうでなくなっちゃっている。それを思うと逆に自分もつらくなる」
絶望のふちにいた親子をつなぎとめたのは「野球」。キャッチボールが自然と親子が向き合う時間となりました。
また、親子のきずなを深めたきっかけになったのも野球でした。
ある日、瑛太さんが「気仙沼市にバッティングセンターを作ってよ…」とつぶやいたことから、清英さんが奮起。
全国から支援を募り、本当に気仙沼市にバッティングセンターを作ったのです。それは後に、清英さんが命を懸けても守りたかったと話す親子の約束でした。
千葉清英さん
「私自身はとにかく息子に感謝しています。私自身の生き方を変えてくれた」
ただ呆然と立ち尽くすしかなかったあの日…。
二人は支え合い前を向き始めていました。
そんな暮らしに転機が訪れたのは震災発生から6年後の2017年。
瑛太さんは清英さんの勧めもあって、古里の気仙沼市を離れ、ひとり、都内の高校に進学することになりました。
「新成人の皆さんおめでとうございます」
それは、大人へと歩みを進める瑛太さんにとって、父親の清英さんを改めて、考えるきっかけにもなりました。
24歳になった今も、都内で生活する瑛太さん。親元を離れたからこそ気付いたことがあります。
千葉瑛太さん
「ちょっとでもいいから、きのうよりもきょう頑張ってみようと、プラスに思おうとしてきて。それはやっぱり親父が生き残ってくれたからじゃないかな。一種の支えではありましたし、安心感はありました」
2月28日、瑛太さんが気仙沼市に帰省しました。
向かったのは家族5人のお墓。この日の前日は妹の祐未ちゃんの誕生日でした。
瑛太さん「ちゃんと覚えているよ」
一歩ずつ、そして、着実に歩んできた2人。
時間が流れ、親子2人だけで過ごしたあの日々を振り返られるようになりました。
千葉瑛太さん
「やっぱり大人になり、自分で自分の責任を持って、いろいろなことに日々向き合っていると、やっぱり疲れて寝たい日もあるし、きょうはいいかなと思う日もあるし。でもそれでも自分が当時見ていた親父の背中は、疲れていても朝から配達があるとか、バッティングセンターの建設のために、夜な夜な朝から動いていたりとか、自分が野球の試合があると、背番号を縫ってくれたり、そういう姿を見ていたので、それを今思うと走り続けるのはすごいと思う」
千葉清英さん
「仮設住宅の中で一枚の布団でずっと一緒に寝てきたという思いが強くて、はたから見て思いと当事者の思いって全く違うじゃないですか。私なんかは逆に世界で一番幸せな親子なんじゃないかってぐらいに、当時思っていたので。がむしゃらっていうのが一番大きかった。今冷静に思えばの話ですからね」
5人の家族を亡くした当時9歳の少年は24歳になりました。
家族とお別れをしてから15年。
あの日、話した家族への思い…。
千葉瑛太さん(当時10歳)
「いつまでも天国からパパと僕を見守っていてください。最後に僕は千葉家の家族に生まれてきてよかったです。ありがとう、瑛太より」
千葉瑛太さん
「日々葛藤も苦しみもそれも乗り越えようと頑張っている姿。それで親孝行だと思って特に考えずに楽しく生きています」