東日本大震災、そして東京電力福島第一原発の事故から15年。
2月に福島第一原発を訪れた際、目にしたのは地元とともに廃炉作業を進めながらも、いまだゴールが見えない厳しい現実だった。
「復興のために」地元の力借り廃炉作業
まだ薄暗い朝5時半ごろ現場に到着すると、すでに多くの作業員が出入りしていた。夏場は暑さ対策のため、さらに早い時間から作業にあたることもあるという。
構内では1日約5000人が働いており、その6〜7割は福島県出身者だ。
彼らからは、「復興のために1F(=福島第一原発)で働いている」「少しでも地元の役に立てれば」といった声が聞かれた。
作業員の中には宮城・石巻市の出身者もいた。
震災で津波被害に遭い家を全壊したが、「地域の復興に携わりたい」という思いで仕事を続けているという。
福島第一原発に配属されて9年、「この現場に強い思い入れがある」と話し、この日も精力的に作業にあたっていた。
事故を起こし、地元に多大な被害をもたらしながら、地元の協力を得て進められている廃炉作業。
東京電力の担当者もその支えがいかに心強いかを、言葉に力を込めて語った。
福島第一原子力発電所 計画・設計センター
チームリーダー 渡邉崇さん:
当社は事故を実際に起こした立場ですが、こうやって地元の方々はじめいろいろな方々に協力していただいて、作業に携わってもらっているということ関しては非常にありがたく思っていますし、作業を進める中で非常に力になっていて、非常に心強く感じているところです。
廃炉“完了”へ…一歩進むも遅れ明らかに
一方、廃炉に向けた作業は依然として困難を極めている。
東京電力は「2041年〜2051年ごろの廃炉完了」を目標に掲げているものの、3基すべての廃炉を完了させるのは前例のない挑戦だ。
中でも最大の課題とされるのが、溶け落ちた核燃料「燃料デブリ」の取り出しである。
2011年、津波により電源設備が浸水し、原子炉を冷却できなくなった結果、核燃料が溶け出した。現在も1〜3号機には現在も推計約880トンの燃料デブリが残されたままだ。
取り出し開始は当初2021年を想定していたが、工程の遅れが続き、着手は繰り返し延期されてきた。2024年と2025年にようやく取り出せた量は、計わずか0.9グラムにとどまっている。
さらに、本格的な取り出し開始についても、当初「2030年代初頭」とされていたが、2025年には「2037年度以降」にずれ込むことが発表された。
こうしたことから2051年ごろの廃炉完了という目標は、達成が極めて難しい状況となっている。

実際に建屋に近づくと、3号機では依然として線量の高い区域が残り、2019年と比べてもがれきがほとんど手つかずのまま残されていた。
一方で、廃炉に向けた取り組みは少しずつではあるが着実に前進している。
1号機では2026年1月、建屋を覆うカバーの設置が完了した。これは、建屋上部に残る高線量のがれきを撤去するための前段となる作業で、放射性物質の飛散を防ぐ役割も担う。
東京電力は「作業を進めることで見通しの精度が上がり、その結果として計画の見直しが生じる」と説明する。
東京電力HD 福島第一廃炉推進カンパニー
リスクコミュニケーター 徳間英昭氏:
この15年の蓄積の中で、見えなかったものが見えて、それで準備工事として工程の精度がかなり上がっているんだと思っています。
われわれは目標を掲げている限り、それに向かっていろんな技術を投入していく。2051年にできる工法はなんぞやと、できるシステムをどういう形でやればいいか、そこを検討していくのがポイントだと思っています。
事故から15年 地域に残る現実
原発周辺で取材していると、かつて原発で働いていた人、今も現場で従事している人の声を聞くことができ、原発がいかに地域の生活と密接に結びついていたのかを実感する。
しかし事故の影響で、いまだに住民が帰れない地域が残っており、その現実を示す看板が至るところに立っている。
福島第一原発は、東京をはじめとする首都圏に電力を供給するために稼働していた。
3月には新潟県の柏崎刈羽原発6号機が営業運転を始める見通しで、ここで作られた電気もまた首都圏に送られることになる。
電気を使う私たちは、原発のあり方や廃炉の進捗(しんちょく)について、「遠くの出来事」として片付けるのではなく、これからも関心を持ち続け、見守っていく責任があるのではないだろうか。
(執筆:フジテレビ経済部 丹羽うらら)
