温泉から始まった縁
東京・立川市から双葉町に移住してきた彼女が福島に拠点を移したのは、今から3年前の2023年のことだ。当時29歳。きっかけは意外にも「温泉」だった。
以前は温泉施設で働いており、「次はオープニングスタッフとして新しい施設で働きたい」と考えて全国の求人を探していたという。
その中で目に留まったのが、双葉町にオープン予定だった入浴施設の求人。すぐに応募を決めた。
「結局、配属は建物内のラーメン店になったんですけどね。でも新しい場所で、新しい人たちと働けるというだけでワクワクしていました」
当時、福島という地に対して怖れや不安はまったくなかったという。
「たまたま家でいつも福島のお米を30キロで頼んでいたんです。お米も桃も美味しいイメージしかなくて。“美味しいものがある場所ならいいじゃん”って軽い気持ちでした」
震災当時は10代後半の多感な時期。それでも彼女にとって「福島は遠い場所」ではなかった。
人口100人に満たない街
移住した当初、双葉町はようやく住民受け入れが始まった時期で、生活環境は今とは比べものにならないほど静かだった。
「コンビニもスーパーもなくて、本当に人がいなかった。私が来た時、住民は100人もいなかったと思います」
駅の西側には住宅が整備されたものの、人影はまばら。生活の基盤も整っていなかった。
それが今では人口が約200人に近づき、朝夕にすれ違う人も増えた。
「イオンができたのも大きいのかもしれませんね」
「前は駅西にしか人がいなくて、東側は役場の人しかいませんでした。だけど最近は休日に散歩していると、必ず誰かとすれ違う。『あ、人が増えた』って実感します」
静かな町にゆっくりと人が戻り、新しい住民も増えている。町の景色が少しずつ「生活のある町」へ戻りつつあることを日常の中で感じているという。
「ただ挨拶するだけで良い」
双葉町で暮らすうちに彼女が強く感じたのは、人との距離の近さだ。
「人が少ないからこそ、ぎゅっとしてる感じがあります。すれ違えば“こんにちは”って声をかけ合う。それが自然なんです」
ご近所の人とバーベキューをしたり、散歩中に挨拶を交わしたり。都会で育った彼女にとって、その距離感はむしろ心地よかった。
また、交流コミュニティー「双葉結ぶ会」に入り、住民同士の交流にも参加している。
「ポストに“みんなで集まって話しましょう”とか、手芸クラブのお知らせとか、いろいろ入ってくるんですよ。参加してみると、本当にみんな優しい。移住者だからと構える必要はぜんぜんないと思います」
地域に入るハードルは高くないという。必要なのは大げさな覚悟ではなく、「おはようございます」と挨拶するくらいの軽い一歩だけ。
「移住を迷っている人にも、まずはちょっとだけ参加してみてほしい。“普通に過ごせるな”って気づくと思います」
“特別じゃない日常”が、ここにはある
彼女が双葉に定住したいと思う理由は、とてもシンプルだ。
「普通に楽しいんです。仕事に行って、家に帰って、ごはん食べて寝る。特別なことはないけど、それがいい。不便もないし、“生活が好き”っていう感じ」
派手さも刺激もない。だが、肩に力の入らない“疲れない暮らし”がここにはある。
それでも、彼女には1つだけ懸念がある。父親が日本に60人しかいない指定難病を患っており、もしもの時は東京に戻らなければならないということだ。
「そこだけが悩みです。でも兄にお願いして、できる限り私はここで暮らしたいと思っています」
廃炉への不安よりも、自分の生活を見ている双葉町といえば、避けて通れないのが廃炉作業の存在である。しかし彼女の捉え方は驚くほどシンプルだ。
「正直、まったく気にしていないんです。ニュースでは“放射能が”とか“汚染水が”って言われますけど、私は意識したことがなくて」
生活が廃炉関連と直接結びついているわけでもない。だからこそ、必要以上に恐れを抱くこともないという。
「気にする人がいるのはわかるんですけど、私は“ここで暮らしている日常”のほうを見ています」
移住者が増える町で、彼女が見つけた“居場所”
双葉町は今、震災前とはまったく違う姿に変わりつつある。再び賑わいを取り戻す途上にある町で、移住者が新しい生活を始めている。
そんな中で彼女は、自然なコミュニケーションと、無理のない日常の中で“自分の居場所”を見つけた。
最後に、彼女は静かにこう語る。
「なんにも特別じゃないけど、この生活が好きなんです」
双葉町に根付こうとする一人の女性の言葉は、これから移住を考える誰かの背中をそっと押すかもしれない。
執筆:フジテレビ経済部 丹羽うらら
