長野県の諏訪湖の「御神渡り」と気になる「あの人」です。「御神渡り」は少なくとも室町時代から観測されている神事。今季は出現せず、これで過去最長に並ぶ8シーズン連続の「明けの海」となりました。とても残念な様子だったのがこの40年間、観察を続けている八剱神社の宮坂宮司です。そもそも御神渡りとは?諏訪の人々や生活との関連は?宮坂宮司の思いを取材しました。

■「明けの海」を報告

2月14日、諏訪市の八剱神社で行われた厳かな神事。「御渡注進奉告祭」です。

八剱神社・宮坂清宮司:
「小波の打ち寄する『明けの海』にて御渡御座無く候(みわたりござなくそうろう)」

今季は諏訪湖の「御神渡り」が現れず、「明けの海」となったことを報告しました。


■神が渡る!?「御神渡り」とは

「御神渡り」は厳しい寒さで凍った湖面が山脈のようにせり上がる自然現象です。

諏訪地域では「神様が渡った跡」と言い伝えられ、少なくとも室町時代の1443年から584年分の観測記録が残っています。

そして氷の筋の形や方角から、その年の作柄や世相を占う神事が連綿と続いてきました。

しかし、今季は出現せず8シーズン連続の「明けの海」に。室町時代の1507年から1514年に並ぶ最長記録となりました。

八剱神社・宮坂清宮司:
「室町時代の人たちにどんな思いだったか聞いてみたいなと思いますけど、みんな同じ思いで湖と向き合ってきたのかな」

■諏訪湖を見守り40年の宮坂宮司

御神渡りの判定を行う八剱神社の宮坂清宮司75歳。諏訪湖を見守り始めてから2026年で40年となりました。

宮坂宮司といえば―。

「ー10.1℃だぞ。すごい、拍手ものだ」。

観察の際に中心にいる「あの人」。小寒から立春までの早朝、「極寒」の中で氏子とともに湖の状況を確かめます。

宮坂宮司(2018年):
「(氷が)『御神渡り』として成長していくのかな。うれしいですねえ」

宮坂宮司(2024年):
「(結氷が進んで)思わずニヤニヤしちゃうな」

宮坂宮司(2026年):
「諏訪湖、頑張れよって励ましたい気持ちでいっぱいです」
「思わず頬にすり寄せたくなるような」

いつも寒くなればなるほどうれしそうな様子の宮坂宮司。

ですが―。

宮坂清宮司:
「僕、寒いのと朝早いの好きじゃないんですよ。でも、もう気が気じゃなくてワクワクして湖、通うんです。確かに寒い、寒いんですけれども、天秤にかけるとワクワク感の方が、ちょっと勝る」

寒さが苦手なのに、なぜこれほど熱い気持ちで諏訪湖に通い続けるのでしょうか。

■40年前…宮司としての第一歩

40年前・1986(昭和61)年のニュース映像。御神渡り出現後の「拝観式」を取り仕切るのが当時35歳の宮坂宮司です。

前の年に父・清通さんが亡くなり、4代目として初めて儀式に臨みました。

宮坂清宮司:
「(御神渡りを見て)最初に感じたのは、恐ろしい現象が起きてるなと思いました。人々はどういう思いで接してきたのかなっていうことからだんだん興味を持ち始めて」

八剱神社は16世紀末、高島城を建てるために今の場所に移転しましたが、もともとは諏訪湖畔に位置していたことから、御神渡りの判定をつかさどることになったとされ、宮坂家は明治時代から宮司を務めています。

■記録が語る 先人たちの暮らし

神社に残る多くの記録―。

御神渡りの結果を記した「御渡注進録」などです。宮坂宮司は就任以降、これらの記録を丁寧に読み解き、先人たちの暮らしを見つめてきました。

これは明治時代の記録。出現した「御神渡り」の道筋の始点と終点の位置などが記されています。

さらに―。

宮坂宮司:
「米作・養蚕ともに『上々作』に御座候」

記録されているのは湖の状況だけではありません。

江戸時代中期の記録には、毎回「上作」「下作」など、稲作についての記述があります。

宮坂清宮司:
「これがものすごくものを言うわけです。やっぱり一番大切なのはそこですから。生きることって、ある意味では食べること」

「御神渡り」に五穀豊穣と平和な生活を願う気持ちが込められていることが分かります。

また、ある時には―。

宮坂清宮司:
「7月2日より浅間、大焼き。昔は噴火のこと大焼きって言ったんですよ。当国・この諏訪の方にもかすみかかり、その上、御郡中一等の大不作。飢え人、餓死する人、むらむらにこれあり候」

1782(天明2)年から始まる「天明の大飢饉」です。洪水や浅間山の噴火など、相次ぐ自然災害で稲が育たず、多くの人が飢餓に苦しみ疫病もはやりました。記録には諏訪地域でも多くの死者が出た一方、人々が山に行き植物の根などを食べて生き延びたことなどが克明に記されています。

宮坂清宮司:
「御渡帳の記録っていうのは命をつないできた、生きた人の歩み、証し。ここに集約されているのかなと思うと、語るものは多いなと思いました」

■氷上に着陸した「文明の利器」

時は流れ、1917(大正6)年の記録。諏訪湖の氷は厚さ30センチに至り、御神渡りが出現。

その時、湖に現れたのは―。

宮坂宮司:
「所沢陸軍航空飛行隊、飛行機2台を持って同将校数名来す、相成」

陸軍の飛行試験で、凍った湖上に飛行機が着陸。物珍しかった飛行機は「文明の利器」と表現されています。宮坂宮司は後に、地域の住宅などから当時の写真を見つけました。

宮坂清宮司:
「一般人民は観覧のため、数万の人出、飛行の試験は良好」

時は第一次世界大戦で好景気に沸いていた頃。写真からは、記録通りの活気が見て取れます。

宮坂清宮司:
「(注進状は)食べるものばかりじゃなくて、その時の国の状況を加味して、世界情勢、戦争がどうとか、そういうことがいっぱい書いて、本当に記述多い」

■温暖化?「明けの海」が多発

そして、令和8年、今季の記録。「注進状」には「大阪・関西万博開催」、「令和の米騒動」、「古古古古米」、「農産物の価格高騰」などが記されました。

500年以上前から諏訪の人々の営みとともにあった「御神渡り」。ただ、ここ数十年で大きな変化が起きています。「明けの海」の多さです。

かつて10年に1度程度でしたが、1951年以降は76回中41回と半数以上となっています。地球温暖化の影響が指摘されています。

500年以上に渡って気候や気温なども記された「注進録」は世界的にも貴重な資料として注目されています。

宮坂清宮司:
「かつては半農半漁村の、今はサラリーマンの氏子総代たちが氷が張ったか張らないか、亀裂ができたかっていうことをこつこつと書きとどめていた。歴史って1年1年の点があって、それがつながっていくと線になりますよね。それをひも解いていったら、本当にいろんなことを語りかけているなって思いました」

■100年後の子孫のために

平和な暮らしを願い神や自然に祈りを捧げる諏訪の人々の心とともに、宮坂宮司はこれからも湖を見守ります。

八剱神社・宮坂清宮司:
「御渡りができて拝観式する、もうそれに越したことはないんです。でも、これからも先人たちが残してきたと同じようにこつこつ書き継いでいくことに意味がある。今度、僕がすべきことは100年後の子孫のためにそれを伝えていくという責務があるのかな」

長野放送
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