その日、法廷には嗚咽が響いたという。
「慰安婦被害者らがきちんとした謝罪と賠償を受ければ良い…」
涙ながらに語ったのは、何と現職の韓国裁判所の裁判官だ。
一体どういう事なのか?

前政権の「積弊精算」に巻き込まれた慰安婦損害賠償訴訟

朴槿恵前大統領
朴槿恵前大統領
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法廷で裁かれていたのは、日韓関係悪化を懸念した朴槿恵政権(当時)が韓国最高裁に働き掛け、いわゆる徴用工を巡る訴訟などに介入したとされる「司法壟断(ろうだん ※ 注)」事件だ。職権乱用などの罪で最高裁の元幹部が被告人になっているが、5月23日に開かれた法廷には、現職の裁判官が証人として出廷した。韓国メディアによると、この現職裁判官は、元幹部の指示を受けて、元慰安婦と遺族が日本政府に賠償を求めた訴訟について報告書を作成したのだという。

元慰安婦による訴訟を簡単に説明する。元慰安婦とその遺族20人は、2016 年12 月に日本政府を相手取り総額およそ3億円の賠償を求めて韓国の裁判所に提訴した。日本政府は訴状の受け取りを拒否していたため裁判は開かれなかったが、韓国の裁判所は一定期間書類を公示すれば被告が訴状を受け取ったとみなされる「公示送達」という手続きをとったので、現在はいつでも裁判を開くことが出来る状態になっている。日本政府は5月22日、外国政府が他国の裁判で被告になるのを免除する「主権免除」の原則から、日本政府が韓国の裁判を受けることは認められないと韓国政府に伝達した。もし日本政府の主張を無視して裁判が始まれば、2015年の日韓合意により最終的かつ不可逆的に解決した慰安婦問題が法廷で蒸し返され、日本政府に賠償を支払えとの判決が出る恐れがある。判決が確定し、日本大使館など韓国国内の日本政府の資産が差し押さえられれば、日韓関係は完全に破綻するだろう。

「司法壟断」裁判で 追及された「慰安婦賠償訴訟」

話を「司法壟断」事件の裁判に戻す。韓国メディアによると、検察は被告人の元最高裁幹部が「慰安婦被害者の損害賠償請求権は主権免除、統治行為論(国家による高度な政治判断は裁判で裁くべきでないという法理論)、韓日慰安婦合意、消滅時効などにより難しい事件ではないか」「慰安婦損害賠償事件の対応方案を講じて報告しなさい」と、当時最高裁の事務局で働いていた裁判官に指示したという。法廷で明らかになったその報告書の内容は「法理上(韓国の裁判所の)裁判権が認められる余地が少ない。経済的波紋、対外的信任度など考慮すれば、慰安婦個人の請求権は消滅したと判示することが相当だ」というものだった。日本にとっては歓迎すべき報告書だが、ここは「司法壟断」裁判の法廷だ。逆効果が心配される。

慰安婦賠償訴訟が「積弊精算」に…

年頭会見で徴用工問題について言及する文大統領
年頭会見で徴用工問題について言及する文大統領

「司法壟断」事件は、朴槿恵前政権による犯罪行為と位置付けられている。そして文在寅政権は「積弊精算」つまり「積年の弊害を清算する」と銘打って、朴槿恵前大統領を始めとする野党・保守派の問題を攻撃する事を政権の最重要課題にしている。文大統領は今年の年頭会見で徴用工問題について聞かれた際に「捜査まで行われている状況であり、状況整理されるのを見守って判断しなければならない」と発言している。捜査とは「司法壟断」事件を指しており、その事件が裁判で白黒付くまで介入しないという立場を明らかにしたのだ。徴用工を巡る訴訟は「司法壟断」を通じてこの「積弊精算」の枠組みに入っており、文在寅政権は妥協出来ない構造になっている。

慰安婦賠償訴訟で冷静な判決は期待できるのか

今回、徴用工に加えて元慰安婦による賠償訴訟も「司法壟断」事件に組み込まれた。前述の通り日本政府は、慰安婦損害賠償訴訟について「主権免除」の原則から、裁判は受けないと韓国政府に伝達しているが、文大統領の立場を厳守するならば「司法壟断」事件に組み込まれた慰安婦損害賠償訴訟についても、韓国政府は積極的に動かない事になってしまう。そうなれば、「主権免除」という日本のアピールが韓国の裁判所に届くことは無く、日本政府を被告とした元慰安婦による訴訟が韓国で開かれる可能性が高くなる。

しかも、日本政府にとって望ましい、原告敗訴の司法判断のシナリオは、ほぼ全て朴槿恵政権時代に作られた報告書に含まれていた事が今回明らかになった。過去の国際裁判の判例などから、客観的に見て元慰安婦による訴訟は「主権免除」の対象になる可能性が高いが、主権免除を適用して被告の元慰安婦らを門前払いしようものなら、裁判官は社会的に抹殺されかねない。

前例はある。今年2月、選挙中に世論操作した罪で与党知事に実刑判決を下した裁判官に対し、与党は裁判官弾劾に言及し、あからさまな攻撃を加えた。韓国では、中立性が重んじられる裁判官ですら政治的な攻撃対象になる事が実証された。裁判官が慰安婦訴訟で日本側に有利な判断をするには、相当な勇気がいるのだ。

今回現職の裁判官が、証言台で「慰安婦被害者がきちんとした謝罪と賠償を受ければ良い」と、涙ながらに証言した。訴訟の担当裁判官ではないものの、進行中の訴訟について現職裁判官が一方に肩入れする発言を堂々と行い、それが問題にもならないのが現在の韓国社会だ。徴用工訴訟に続き、慰安婦訴訟も日韓関係の大きな棘になる可能性が高まっている。

※注 司法壟断…壟断とは利益や権利を独り占めする事。韓国では、朴槿恵政権が司法権に介入して望み通りの司法判断を出させたとされる事件を「司法壟断」事件と呼んでいる。

【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】
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渡邊康弘
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FNNプライムオンライン編集長
1977年山形県生まれ。東京大学法学部卒業後、2000年フジテレビ入社。「とくダネ!」ディレクター等を経て、2006年報道局社会部記者。 警視庁・厚労省・宮内庁・司法・国交省を担当し、2017年よりソウル支局長。2021年10月から経済部記者として経産省・内閣府・デスクを担当。2023年7月からFNNプライムオンライン編集長。肩肘張らずに日常のギモンに優しく答え、誰かと共有したくなるオモシロ情報も転がっている。そんなニュースサイトを目指します。