無観客開催が決まった翌日に数十人の市民が…

世田谷区の閑静な住宅街のど真ん中に周囲1.6キロ、東京ドーム4個分の緑豊かな森がある。JRA(日本中央競馬会)が所有する馬事公苑だ。JRAがオリンピックの馬事馬術と障害馬術、パラリンピックの馬事馬術などの競技会場として提供している。

首都圏のオリンピック会場の無観客開催が決まった翌日の9日朝、馬事公苑正門前には数十人の市民が集まっていた。なんのために集まっているのか聞いてみると、聖火リレーを待っているのだという。

本来は、この日、数キロ離れた駒沢オリンピック公園をスタートして馬事公苑に至るまでの道のりを聖火ランナーたちが走る予定だった。公道のリレーは東京都がすでに6月29日に中止を発表していたが、それを知らなかった人たちが聖火リレーを一目見ようと集まったようだ。警備にあたっている防弾チョッキを着た栃木県警の警察官が、聖火リレーは来ないと告げ、集まった市民らは残念そうに三々五々退散していった。

9日 公道の聖火リレー中止を知らない人たちが馬事公苑に集まっていた
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ゲートが閉じられた正門前で、巨大な観客席を名残惜しそうに眺めていた夫婦に話を聞いた。
「家が近くなんで、申し込んだら馬事公苑のチケットがあたったんだよ。楽しみにしていたんだけど…しょうがないよな」

50代とみえる夫は、聖火リレーを見るために半休をとってきたという。一方、妻は…
「選手は開催国なのに可哀そう。応援してあげたかった」

さらに夫はソフトボールのチケットも家族4人分持っているとしたうえで、複雑な思いを明かした。
「ワクチンがあと3か月早かったらね。政府ももっとやり様があったんじゃないか…」

またオリンピックに対する世間の冷たいムードに対して、妻は、飲食店や観光業の人たちのことを考えると複雑だと語った。

そして夫は…
「聖火リレーもなし、観客もなし。本来ならもっと盛り上がったはずだったのに、残念だね」と話し、2人は馬事公苑をあとにした。

巨大観客席など“オリンピックのためだけ”の仮設施設は解体へ

一方、馬事公苑には大会運営に携わる様々な人たちが出入りしていた。全国から派遣された警察官、民間のセキュリティ、また関係者入り口には選手団の宿泊棟の調理補助をするという女性数人が集まっていた。2週間後へ向けた準備は着々と進んでいるようだ。

馬事公苑

この日からゲートのセキュリティを担当しているという男性は、自分は関係者ゲートの担当だから、観客がいてもいなくても関係ないが、この立派な観客席はもったないと思うと話した。馬事公苑の脇にある乗馬用品専門店で話を聞くと、そもそも無観客を想定していたし、観光客が入るような店ではないので影響はないと冷静な見方をしていた。

また、最寄り駅となる桜新町駅近くにいたタクシーの運転手は、最近はビジネスの客と病院へ行くお年寄りが中心なので、緊急事態宣言が出てもあまり仕事に影響はないといい、無観客になっても仕事は変わらないだろうということだった。2021年に入り、首都圏では、そのほとんどの期間が緊急事態宣言かまん延防止等重点措置が出ており、経済的にはそれでも回っているところはまわっているし、すでに困窮しているところはギリギリまでひっ迫しており、今さら無観客の影響はほとんどないのかもしれない。

オリンピックのためだけに建設された観客席

馬事公苑はJRAがオフィシャルコントリビューターとして、大会組織委員会に会場の無償提供、会場整備費の財政支援、運営支援を約束している。1964年の東京オリンピックの会場だった馬事公苑は、一部古くなった施設を馬事競技の「恒久施設」として作り直すため294億円をかけて改修したうえ、メインアリーナを東西南北に囲む9300人収容の巨大な観客席と8本の大型照明塔をオリンピックのためだけの「仮設施設」として建設した。今回の決定で巨大観客席は、そこに大勢の観客が座り、選手に拍手や声援を送ることなく解体されることになる。

さらに残念なことは地域住民の憩いの場である馬事公苑は、この工事のため、なんと7年近くにわたって休苑となるのだ。2017年1月からオリンピック開催までを第1期工事として会場整備のため休苑しているが、オリンピック・パラリンピックが終了したあとも巨大観客席や照明塔などを解体する第2期工事のため、休苑を続ける。次の開苑予定は2023年秋の予定だという。馬事公苑は世田谷区の広域避難場所にも指定されていたが、この工事期間は避難場所としては利用できないことになっている。

「コロナに打ち勝った証」となるはずのオリンピックが…

オリンピックは単なる国際的なスポーツ大会ではない。会場や周辺地域の盛り上がり、集まった人との交流などが文化として蓄積され、歴史として刻まれていくものだ。外国人を受け入れず、観客をゼロにするということは、こうしたオリンピックの持つ「祭典」として意義を放棄したと評されても仕方ないのではないだろうか。

馬事公苑

2020年、日本の死者数は前年より8445人減少した。毎年死者が約2万人前後増加しているなかでの大幅減少である。このうち肺炎で死亡した人は1万7000人、インフルエンザは2000人以上減少した。世界的にみれば、アメリカやブラジルなどはコロナ禍の影響で2020年は死者数が大きく増えているなかで、日本のコロナ禍の封じ込めは際立っているといえる。

「コロナに打ち勝った証」となるはずのオリンピックは、「コロナに負けた証」となったといえよう。しかし、負けたのは「コロナ」だったのだろうか?本当に負けた相手は「世論」だったのではないだろうか?「政府はもっとやり様があったんじゃないか」という男性の声が胸に刺さる。

(執筆:フジテレビ 制作センター 森山俊輔)