幕末に大野藩が開いた蘭学を学ぶ藩校「洋学館」の成績表が見つかりました。当時、緒方洪庵が大阪に開いた名門の蘭学塾「適塾」にならって高い水準の学びが大野で行われていたことが浮かび上がってきました。謎の多い「洋学館」の実態解明にも繋がっています。
洋学館で書き写され、使用されていた蘭日辞書『和蘭字彙』。
成績表は、この辞書の表紙の中から見つかりました。約170年が経過して劣化した表紙の布がめくれ、台紙に使われた成績表が顔を出したのです。
当時、洋学館では多くの人が使えるようにと辞書を書き写し、自分たちで製本していたため、表紙に成績を記した紙を重ねて再利用していたそうです。
大野市歴史博物館 指導学芸員・田中孝志さん:
「大阪大学適塾記念センターの職員と私の3人でそれを見つけた時には、思わず声が出ました。『あった、ほんとにあったんだ』と」
大野藩校「洋学館」は、蘭学者・緒方洪庵が大阪で開いた私塾「適塾」をモデルとした蘭学塾です。
当時、蘭学塾は全国に点在していましたが、「適塾」は多くの優秀な医師や学者を輩出した名門で、福沢諭吉もここで学びました。
そんな適塾の塾頭を教授として招いた「洋学館」もまた、全国から生徒が集まるほど
国内有数の蘭学塾だったようです。
しかし、洋学館は数年で消滅したようで、資料や文書はあまり残っておらず、全貌は明らかになっていません。
そんな中見つかった今回の成績表。紙には、生徒の名前と評価を表す「白丸」、「黒丸」が記されています。
当時は、授業内容が理解できていたら白丸、理解できていなければ黒丸をつけていました。洋学館がモデルとした「適塾」でも、生徒の成績を白丸と黒丸で表していたことが分かっています。
田中さん:
「適塾では、この黒丸、白丸で成績の管理をしているというのは、福沢諭吉の自伝の中に表記がありましたので、今回この白丸、黒丸を見つけたことで、実際に(洋学館でも)同じような方法を取っていたということが確証が取れたということ」
また史料からは、一方的に教師から指導を受けるのではなく、複数の生徒で班を作り原書を読み解く「会読」という学習方法が盛んに行われていたことも判明しました。
この「会読」も、当時、蘭学を学ぶ最高峰の学び舎であった適塾の特長的な学習方法で、洋学館が全国的にも高水準の学問レベルを誇っていたことが伺えます。
田中さん:
「時、大野藩は財政的にものすごく大変な時期だった。そういったピンチに新たな学問、蘭学ということを『会読』という新しい学習スタイルで進めることでなんとか乗り越えようとしていった、そういった藩士たちのその意気込み、熱意というものも感じ取っていただけるとうれしい」
幕末の世、欧米諸国に脅威を感じ懸命に蘭学を学んだ塾生たち。熱い思いを持った若者たちが小さな大野藩で学んでいたことが、成績表から伺い知ることができます。
史料は、大野市歴史博物館で2月8日まで特別公開されています。