1月27日に公示された衆議院選挙。
島根2区には、自民、中道、共産、参政から4人が立候補し、前職に新人3人が挑む構図で選挙戦に入りました。
中道改革連合・新人の大塚聡子候補は、浜田市のJR浜田駅前の商店街で第一声に臨みました。
私は、『日本の過疎地帯』という1968年に今井幸彦さんという方が書いた本をいつも携えて、この島根2区内を回らせていただいております。この本の中には、浜田、その頃は1968年の頃は、まだこの町自体はまだ栄えている時代。ただすでに「日本の過疎地帯」の中で、弥栄そして金城、旭はもう衰退の兆しがあるということが書かれています。50年経った今、どうどうでしょうか?今井幸彦さんは、数々の処方箋を書いております。過疎地帯の、中山間地域の対策、少子高齢化、どういう風にすればいいか書いてありますが、政府、国の人々は何もそれをやっていません。
1968年の時点で、50もの法を立てておきながら、それは全て横の繋がりがなく、ただ出しただけ。自分の地位を見せびらかしたいだけ。それだけのために法律を考え、何もこの浜田のことを分かっていない、私はそれに一番憤りを感じております。
そして私は地盤も看板もない人間でございます。泥臭くこの選挙区を歩いておりますが、それは単に義憤に駆られてです。どうして50年も前から浜田に対する処方箋が書かれているのに、誰も実行しなかったのか?私は皆様と共に、必ずこの浜田を明るい街にしてみせます。弥栄そして金城、旭、1年半前の選挙では手を振ってくださっていた方が、今はもう部屋に引きこもりの状態。そして商売をやめてお会いできないような状態になっています。こんなことを断じて許してはなりません。私は必ずこの浜田の地に、中道改革の風を吹かせて、皆様と共に新しい浜田を作ってまいります。
大塚候補はこの後、浜田市役所前で福祉政策などについて訴えました。
今の福祉システム、なかなか障害者の方々がうまく継続的に、永続的に働けるようなシステムにはなっておりません。私は元々は地方自治体の議員を目指しておりました。しかしこの島根県内を回らせていただくにつれ、もちろん地方自治体の議員それから市長、そういった方と連携することは大事ですけれども、私の使命は、国政においてこの障害者の福祉支援システムの浜田モデルとして、それを国政に届けるのが自分の役目ではないかという風に考えるようになりました。
浜田には、大きな社会福祉法人もあります。中小の訪問介護事業所、障害者福祉事業所、色々なものがあります。ただやはりこれは福祉サービスという名のもとにおいては、大きいところがやはり1番そこにサービスの利用者が集まる。それはどうしようもないことではあります。ですから私は、2025年8月30日にこちらの浜田のまちづくりセンターにおいて、社会福祉連携推進法人制度についての講習会を開きました。
社会福祉連携推進法人というのは、小さな事業者がそれぞれの強みを出して集まって1つの大きな事業体として運営するシステムです。まだ全国には30しかありませんが、私はこれを是非、国政の立場から浜田で社会福祉連携推進法人を推進していきたいと考えております。国政に出るという立場であっても、地方自治体会の議員、そして住民の皆様方のご尽力なくしては、その私の思いを国政に届けることはできません。必ずこの浜田のために精神誠意頑張ってまいります。