「本質的な学び」は人生を形づくる
一生を支え、人生を形づくっていくような「本質的な学び」とは、どのようなものなのでしょうか。
その答えを探るために、まず「本質的ではない学び」とは何かを考えてみましょう。
世の中には、豊富な知識を持つ「モノ知り」がたくさんいます。
しかし、その知識が断片的でつながりがなく、まるで辞書のように表面的なものにとどまっていることも少なくありません。質問に対する答えが、ただの情報の羅列や無難な説明で終わってしまうとき、それは「自分の言葉」ではなく、「借り物の知識」にすぎません。
一方で、本質的な知を持つ人の言葉には、その人自身の経験や関心、情熱が息づいています。同じ内容を語っていても、その人ならではの視点や物語の中で知識が生き生きと輝き、聞く人の心を動かします。
そこには、知識を単なる情報としてではなく、「自分の文脈」で捉え直した痕跡があります。
つまり、本質的な学びとは、知識を自分の中に取り込み、自分の言葉で語れるようになることです。知識をただ覚えるのではなく、自分の興味や感情を重ね、時には驚きや感動を伴いながら、自分自身のものとして吸収していく過程です。
学びを「他人ごと」ではなく「自分ごと」として引き受ける姿勢が、学びを本質的なものへと変えていきます。
ひとつの計算問題をやっているときや、ひとつの歴史上の事柄を説明しているときでも、ただその答えや事実を通り一遍に語るだけではなく、多くの試行錯誤を重ね、その意味や意義、それが他のどのような事柄と関連しており、どのような話に発展できるのか。
そのような、文脈を自分なりの視点で語れるようになることで、学びの成果は何倍にも意味のあるものに膨れ上がっていきます。
飯田史也
ケンブリッジ大学工学部教授、ケンブリッジ大学コーパスクリスティカレッジフェロー、東京大学大学院工学系研究科教授、理学博士。研究の専門分野はロボット工学で、スイスと英国で16年教壇に立ち、200人以上の教え子を世界中に輩出してきた。
